今は亡きあの人へ伝えたい言葉
お母さんは、お花に水をあげているときいつも優しかったね。農家の娘で春生まれのお母さんは、お花が、とりわけ菜の花が大好きだった
かあさんが亡くなって三年。この手紙では「父さんがどれだけかあさんの事を好きだったか」を報告したいと思います
もし来世というものがあるなら、もう一度、私の母親になってください
母さんが天上してから十五年。おれも爺さんになった。今日は小っ恥ずかしい報告だけど聴いてくれよ。
料理が得意ではなかった母さん。もう一度、その個性的な料理を口にしたい
四年前乳ガンになった時は、お母さんが生きててくれたらとか、いや生きてたらどんなに心配をかけたろうとか。お母さんのことたくさん考えました
お父さんは、お母さんの服を捨てたくなくて、そのままにするか、私に使ってほしいって言ってた
初盆にいらしたお弟子さん方が母さんの遺影に、今も厳しい言葉が飛び出て来そう…と口を揃えて言っています
お母さんの明るさは、いつも希望をくれた。嫌な事や困難と思える事も、笑い飛ばすお母さんの強さが大好きだった
幼い子を残し、お母さんがどんなにか辛い気持ちで病に負けて逝ったのか
父さんが「馬鹿だから」と結婚に反対した夫は、優しく気配りがあって、月命日には必ずお参りし、仏前には好物を欠かさず上げてくれてるよ
今年の春もお彼岸に父ちゃんの墓参りに行ってきたよ
ママがいなくなってもう 10 年だね。
入退院を繰り返していた母に、やさしく接することがどうしてできなかったのだろう
祖母は死ぬところまで私に見せてくれて勉強させてくれたんだ
蝶になって会いに来てくれたママへ
四十九日が終わり、あらためておかあさんの「生前の意思」というものについて考えています
息子たちは大きくなったよ。覚えてないから「お母さんって優しい?」「お母さんって怖い?」って聴く
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。
母お手製の、ウルトラマンの座布団カバー
【今は亡きあの人へ伝えたい言葉】母の遺品を整理していたときのことだ。タンスの引き出しの中に、一枚の色あせた白布を見つけた。私は何気なくその布を引き出して、思わず目を疑った。それは私が小学校の時に使っていた、母お手製の座布団カバーだったのだ。そのカバーに当時人気があったウルトラマンの絵を描いてくれた。今思えば目立たぬ私を気遣って、周りの男の子たちとの話題作りにと描いてくれたのだろう。
あなたがとつぜん死んでしまったこと、おねえちゃんのこころはいまだにきちんとせいりがついていないみたい
さいきんになってようやくだけど、ゆめというか、やりたいことができたんだよ。心がきずついて、ひとりでは人生をあるけなくなっちゃった人たちのおはなしをきいたりして、もういちどあるけるようにおてつだいするおしごとをしたいんだ。
余命宣告を受けても“曾孫に逢いたい”と頑張ってくれたおばあちゃん。生きる力に涙が溢れました
「可愛いねぇ、おしりがなんとも、可愛いねぇ」おばあちゃんが、産まれたばかりの待望の曾孫の姿をみて、目を細めながら言った言葉。今も、昨日のことのように、声も、その表情も覚えているよ。
天国のお母さんへ
九月の半ば、お母さんがあなただけ誕生日おめでとうって言えないかもしれないからおめでとう。って泣きながら言ってくれた。全然実感も無く、喜べなかった私は、やめて!!と怒ったよね。私の誕生日の二週間前。最後の会話をして約一週間後。私たちの前で静かに天国に旅立ったよね。指先からどんどんぬくもりが無くなり最後胸の温もりが消えるまでお母さんの生きてる証をみんなで辿り、その間もその後も涙が枯れ果てて過呼吸で自分の身体がコントロール出来なくなるまでみんなで泣きました。
母の間違い電話
病気を恨まず、ひたすら生きようと闘ったおじさん。私はあの格闘を忘れない
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。