かあさんが亡くなって三年。この手紙では「父さんがどれだけかあさんの事を好きだったか」を報告したいと思います

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今は亡き母へ

かあさんへ

かあさんへ。

かあさんが亡くなって三年近く経ちます。やっと仏壇や、アルバムのかあさんの写真をながめられるようになりました。それから、かあさんについての思い出も父さんと楽しく語れるようになりました。

私の記憶では、仲がいいほど喧嘩するタイプの夫婦だったと思います。ほとんど父さんが負けていたけれど、それは折れてたんかな。そんな二人だからうまい具合に均衡がとれて仲良しだったんだと思います。でも、照れからなのかお互いを褒め合うのはめったに無かったね。

最近は、二人の独身時代の話を聞く機会も増えました。その度に、かあさんの目線からその話を聞いてみたかったなあ、と思う今日この頃です。この手紙ではかあさんでもあまり聞くことが出来なかったであろう、「父さんがどれだけかあさんの事を好きだったか」を報告したいと思います。

まず一つ目に、かあさんが亡くなってから、かあさんも含めて通夜に備えて家族で同じ部屋で寝た事があったよね。その晩、私と父さんで布団に入っているかあさんをながめている時に父さんが冗談っぽく明るく、まだ亡くなった実感が無いっていう感じで「一緒に入って寝てやろうかな」って言ってた。その言葉を聞いて、なんだか表現しきれないほっこりしたような、微笑ましいような気持ちをじんわり感じた。それと同時にかあさんが起きてたら「何言っとるん、やめてや」って言うかあさんが目に浮かんだし、父さんはずっとそうやって言いたかったのかなあ、とも思ったりしてくすっとなった。

二つ目に、知人に送る為の訃報を知らせるはがきを作る際に父さんは、はがき作成担当の方に記載するかあさんの人となりやエピソードを電話で伝えてました。私も同じ部屋にいてそれを聞いていて、最初はいつもの真面目な調子で淡々と話していたのが途中からだんだんと言葉に詰まるようになって、最後の方は耐え切れなくなって嗚咽をもらしながらエピソードを一生懸命話していました。「普通に買い物に行ったり、毎日を過ごせるのがどんなに幸せか。」と。一生懸命伝える父さんの姿に胸が痛くて涙が出た。親ではなく私の知らなかった夫婦の二人の大切な世界を覗いた様な気がした。

上手く報告出来ているか分からないけど、たちまち送ります。ではまた。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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