母の間違い電話

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今は亡き“母”へ

母さん、今でも電話がなると一瞬、母さんの間違い電話かなと身構えてしまいます。でもすぐにそんなことあり得ないと気づき、少し淋しくなるのです。

母さんの最初の間違い電話は、僕が東京の大学生になってすぐに、下宿先へかかってきました。

「横浜の叔母さんに電話したつもりが、間違ってしまってね。それで、なにかいるものはないかい。東京にはいろんな人がいるからね、うっかりだまされるんじゃないよ」

母さんは必要最低限の話をして電話をきりました。初めて親元を離れ、独りで暮らす子供が心配だったに違いありません。

夏休みで帰省する前には、親友へかけたつもりだという間違い電話がありました。

「帰ってくるときに、お父さんになにか甘いものを買ってきてほしいんだよ。お金はあるかい。なかったらすぐ送るからね」

わずらわしくありましたが、母さんが楽しみにしているのはよく感じ取れました。

その後も一年に数回の間違い電話を受けつつ僕は大学の四年間を終えました。母さんは間違い電話のことなどおくびにも出さず、いつもニコニコと僕を迎えてくれるだけでしたね。いちいち間違い電話だと断らなくてもいいものを、成長した僕にささいなことで電話して叱られるのがいやだったのですか。

社会人となり、結婚しても、母さんの間違い電話は続きました。今更と思ったことは何度もありましたが、僕を気遣ってくれている母さんに思いをはせるとやめてくれとはいえませんでした。ときには、母さんの言葉に思い当たる場面もあり、ありがたく思うこともあったのです。

年を取るにつれ母さんの電話は間遠になりましたね。それでもたまにかけてくれる電話は、相変わらず間違い電話だと母さんは付け加えました。

八十歳を過ぎて母さんは癌に侵されているのが分かりました。そんな中ある日曜日の夜に家族で外食をして家に帰ると、母さんの留守番電話が残されていました。庭の桜が満開の、母さんの誕生月の四月のことでした。

「いつもいつも間違いでかけてすまないねえ。このところね、お父さんが向こうからしきりに呼ぶんだよ。もう私もそんなに長くはないと思ってね。一度顔を見たいから、そのうちに寄っておくれよ」

それが結局母さんの最後の間違い電話でした。母さんの最後の声は留守電の録音で手元に残っています。でも、もう一度母さんの肉声を聞いて
おきたかった、もう一度、間違い電話をかけて欲しかったと今でも思うのです。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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