息子たちは大きくなったよ。覚えてないから「お母さんって優しい?」「お母さんって怖い?」って聴く

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今は亡き妻へ

「カフェオーレ欲しいなぁ……」と耳元で囁く声がする。

あれから七年が経った。癌の宣告から十二日後に天国に行ったよね。互いに別れの言葉を交わさず……

哀しいとか、寂しいとかそんな時間はなかったよ。仕事に子育てに明日明日の毎日だった。僕の友人はじめ、フミが遺してくれた友達にママ友に沢山の温もりをもらった。

仕事ばかりしていたね。家の事、子育て、学校のことはフミだったね。それがあたりまえだと思っていた。今思う……家事には終わりがなく、子育ては奥が深い……あたりまえがあたりまえでなくなっていく……改めてフミの存在の大きいことを感じた。少しでも手伝えばと思った……ごめんね。

フミのママ友に教わったよ。子育ては親育てと。毎日が大変ではなく、毎日がドラマと思えば楽しくなった。料理も洗濯もできるようになった。でも裁縫はできないかなぁ……。PTAも積極的に受けた。ママ友が守ってくれる(笑)。できないことができるようになり楽しみにかわったのが子育てと家事だった。

しかしできることができなくなり苦しみに変わったのが仕事と人間関係だった。やっぱり社長業と主夫の掛けもちは僕には無理だった。孝太が小学校に入学してから「寂しい」とシグナルをだしていた。それと上司の心ない言葉に信頼関係は崩れたよ。キャリア捨てて子育てを取ってよかったんだよね……。

タンスからフミが買ったペンダントを発見。どう見ても男物?もしかして僕に買った?お守り代わりに毎日ペンダントを付けている。付けてから流れが変わった気がするのは僕だけ?

フミが天国に行って二週間後にblogをupした。この継続性のない僕が……。毎日毎日書いた。友人はまるで「奥さまへの日報」だと言う。blogを書くことで気持ちの表出ができたって。

息子たちは大きくなったよ。十八歳、十三歳、九歳になった。孝太はフミを覚えてないから「お母さんって優しい?」「お母さんって怖い?」って聴く。蔵馬は少年から青年になろうとしている。雄祐は少年になっ てる。笑顔が絶えない三兄弟を見て「本当にお母さんいないの?」とまで言われるようになったよ。

年々フミを近くに感じる。天国から舞い戻り僕の横にいるでしょう(笑)。明日も大好きなカフェオーレを作るよ。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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