特集コラム

有名人のお葬式・お別れ会

南部虎弾さん・エスパー伊東さんの合同お別れ会。3/23東京・品川ザ・グランドホールで開催

2024年1月に亡くなった、電撃ネットワーク・南部虎弾さんとエスパー伊東さんの合同お別れ会の詳細をご紹介。3月23日(土)に東京・品川ザ・グランドホールで開催されました。
月刊終活WEB

VRお別れ会の新サービスに見る供養の未来

本記事は「月刊仏事」2022年4月号に掲載された記事を転載したものです。 丹青社・丹青ヒューマネット・ハウスボートクラブ3者対談 先月紹介した丹青社と鎌倉新書が共同で開発した新たな供養の形・「VRお別れ会」。両社は、この後2022年3月11...
月刊終活WEB

終活関係終活から相続まで総合的な支援を行う「家宅整理士」資格を創設

本記事は「月刊仏事」2022年3月号に掲載された記事を転載したものです。 株式会社エア(東京都港区/代表取締役:小島孝治)は、高齢化社会における終活から相続までを一括してサポートする知識を普及させるため「家宅整理士」資格を創設した。同社では...
月刊終活WEB

どこからでも参加できる、新しい追悼の形「リアル×バーチャルのお別れ会」

本記事は「月刊仏事」2022年3月号に掲載された記事を転載したものです。 コロナ禍において対面でのコミュニケーションが以前よりも難しくなったなかで、空間の設計・施工を手がける株式会社丹青社は、遠隔での新たなサービスを提供するにあたり、鎌倉新...
終活映画

【終活映画】人生のお手本は過去に、夢や目標が周囲も自分自身も元気にする。『ぶあいそうな手紙』

映画『ぶあいそうな手紙』。ブラジルに暮らす老人が受けとった一通の手紙。若かりしころ密かに想いを寄せていた女性からの手紙が、彼の人生を大きく変えていきます。人生のお手本はもしかしたら過去にある。そしてまだまだ夢や目標をもって生きることで、周囲も自分自身も楽しく元気にすることができる。終活に対する私の持論がそのまま映像になったような、彼のその先の人生がより豊かになるであろうと想像させる映画です。
終活映画

【終活映画】夢はいつまでも終わらない。本当の終活の力『チア・アップ!』

終い支度である終活を始めた主人公マーサ、持ち物を整理して支度を引き払い、シニアタウンに引っ越してきました。すでに癌に侵されていたマーサは、この町を終の棲家として選んだのです。しかし、仲間と出会い、昔からの夢だったチアリーダーになるため、チアリーディング・チームを結成します。映画の中ではお別れのシーンもあるのですが、別れだけをクローズアップするよりも、生きてきた証はやがて誰かの力になると信じることができる、そんなエネルギーに溢れているのが印象的でした。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

【朗読】今は亡きあの人へ伝えたい言葉 #1「ほんとうの幸せ」

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、大切な“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、想い出や感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。
終活映画

【終活映画】生き方の手本は自分の中にある『ペイン・アンド・グローリー』

主人公サルバドールは、人生を半ばあきらめたかのような男でしたが、32年前の彼の映画作品がレストアされ、上映されることになったことから彼の人生がまた動き出します。初老の男性の、現役引退の節目はどういう心理になるのか?またその切っ掛けは心なのか体力なのか?そしてそこで人生は終わってしまうのか?答えの出ない自問自答よりも、痛みも楽しさも全部自分の人生として受け止めてまた新たに明日を迎えることができる。そんな映画でした。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

ずーっと心の奥底にかなえたい思いがあった

今回、兄弟でようやくお墓を建てる場所ができたと。父がゆっくり安心できる場所ができたと信じたい。その場所は、ふるさとではない場所。でも、私がいつでもどんな時でも会いに行ける場所だから、許してくれるかな?父ちゃん、みんなの想い届いてるかな?
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

良い事が続くと人間は奢り高ぶり、初心を忘れがちです。でもそんな事のない姿がお父さんだった

旅立つ前日まで、懸命にリハビリをしていたお父さん。生きると言う事に前向きに努力をしていた姿、必死に全身で“生きると言う事はこういう事だ”と身をもって教えてくれていたんだね。その姿は私の脳裏に焼き付いているよ。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

「死んでもみんなを守る」僕はこの言葉をお父ちゃんの約束だと信じていました

お父ちゃんは亡くなる前、「できるものなら、死んでもみんなを守る。」と言っていましたね。僕はこの言葉をお父ちゃんの約束だと信じていました。困った時は、助けてくれると思ったんです。助けてくれるのは本当に困った最後の最後なんだ。このことに気がついたのは、大人になってからです。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

毎朝、仏壇に大好きだったお茶をお供えし、月命日にはお墓参りをする。感謝の気持ちを込めて手を合わせるとき、私の心は落ち着きます

お父さんが生前、後に残された私達に面倒をかけまいと自分の入るお墓を建てていたのに入れてあげられなくてごめんなさい。お父さんが亡くなってから九ケ月後、これまで経験した事のない大地震が起き更に原発事故まで起きて、村は放射能で汚染されてしまいました。お墓も倒れ一部が欠けてしまいました。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

お父さんもお母さんも人に優しく気をつかう人だったから、兄弟みんなも似てるからね。お人好しなところもあるけど、それを誇りに思ってる

お父さん、私ができちゃった婚で話したとき明るく「よかったじゃん。」と喜んでくれたよね。そして、そのときから体がわるかったのに、安産のお守りを買って、私が仕事して帰ってくる前にお部屋に置いてくれてたよね。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

もし家族葬にしていたら、とんでもないことになったはず。お父さんは自分の人生を低く見積もりすぎでした

お父さんの遺した手帳を開き、何か慰めになる言葉がないかと探していたときのこと。七十歳の誕生日を迎えた日に遺書に近いような言葉が記されていた。そこに「家族葬希望」の文字があり大騒ぎになった。知らなかったこととはいえ故人の想いを無視してしまった形になる。悪いことをしてしまった、という気持ちはあったが、それとは別に「それは無理だよ」と一同苦笑。実は式当日、平日にもかかわらずたくさんの方が参列してくださり、館内に納まりきらなくなるというハプニングが。急遽親族の控えの間まで参列席として準備してもらったのだ。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

どうすれば親父さんのようになれるのか、そんなことばかり考えていたような気がする。そして、認められたかった

親父さん、今年で四十歳になった。人生の後半戦が始まろうとしてる。まだまだこれから。だから親父さんはいつまでも壁であり、目標であり、ライバルであり、自分を高めてくれるカンフル剤で居続けてほしい。そして、いつか夢の中で「お前すごいな、負けたわ」そう言ってもらおうと思う。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

次生まれ変わってもお父さんの子供に……いや、やっぱり止めとくわ(笑)

認知症になってからは優しくなったり怒り出したり大変だったけど、仕事から帰ると「お帰り。疲れたじゃろ?」って出迎えてくれるの毎日凄く嬉しかったよ。私もお母さんも毎日の生活に必死すぎて、お父さんの事理解してあげられなかった。ごめんなさい。自分のお葬式。上から見てた?散々みんなに迷惑かけたのにみんな泣いてくれたよ。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

辛いこと、苦しいことがある度に、「頑張れ!!」というお父さんの声を思い出し、生きてくることが出来ました

あれから三十七年、お父さんが生きた年月と同じだけの時が経ちました。その間、波瀾万丈いろんなことがありました。辛いこと、苦しいことがある度に、あのときのお父さんの声を思い出し、なんとか生きてくることが出来ました。私の寿命があと何年あるかわからないけれど、私が天国でお父さんに会ったときに、「お父さん、私頑張ったよ!!」と胸を張って言えるように頑張って生き抜きます。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

おれなりに頑張ったけど、結局、父チャンに敬礼させるごと偉ろうはなりきらんやった

おれは大学卒業後、憧れていた背広姿のサラリーマンになり、一人でペンキ屋を続けていた父ちゃんが旅立って間もなく、定年退職した。出世払いできればと、おれなりに頑張ったけど、結局、父チャンに敬礼させるごと偉ろうはなりきらんやった。その代わり、病気せんようにして、父ちゃんに負けんごと長生きしてみせるけんね。
終活映画

【終活映画】納得できる人生を、生き切ってみる『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』

何かに一生懸命に記録をしようとしたり、何かを残そうとする終活が花盛りの昨今、実はもっと大事なこととして、「自分の納得できる人生を、生き切ってみる」ということにも気付くかもしれません。コロナ禍も第二波が予想されるこの時期、三密厳戒態勢の映画館で感じたこと。大切なのは「しっかりと生き抜くこと」なんですよね。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

母の通夜、父は何を思ったのか、白い紙に鉛筆で何かを一生懸命書いていた

数字や文字を全く理解できなくなった父が脳梗塞を発症して以来、初めての物書きかも知れない。父は、母に対して一生懸命に昔のように手紙を書いていたのかも知れない。人から見れば、ただカレンダーの数字を写したものかも知れないが、それは母に対する父からの最後の手紙だったのかも知れない。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

父の日に、亡き父に送りたい言葉(今は亡きあの人へ伝えたい言葉より)

2020年の父の日は6月21日です。日ごろの感謝の気持ちを込めて贈り物を用意する方もたくさんいらっしゃることでしょう。また、想い出になったお父さんにも想いを伝えたいという方もいらっしゃるかもしれません。 今回はこれまでに寄せられた「今は亡き...
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

家の手伝いもやって当然、学校の成績も良くて当然、だって私はお姉さんだから。唯一、褒めてくれたのが父だった

会社員生活を送っている今、父に話したいことが大分溜まってきた。気付けば、仕事に趣味に、家族こそいないものの父と同じようにあちこち駆け回り暮らしているので、母からは「変な所ばかり似て」と苦笑される。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

父は、私にだまされたまま天国に旅立ち、私は父に謝るチャンスを失った

あれから二十余年、時々思い出す。私が父についた嘘は、そうたいしたことではないかも知れないけれど、心のどこかでしこりが残ったままだ。謝りたいことは、嘘をついたことよりも、父のことを端っから「分からず屋」だと決めつけて行動してしまったことだ。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

物置の整理をしていたら昔のアルバムを見つけた。写っているのは私や妹ばかり。お父さんが写っているのはほんの数枚しか無かった

生前お父さんとは、余り話をしていなかったね。色々話しかけてくれたりしたけど、私がろくに返事をしていなかった事もあったね。私と妹が子供の頃、お父さんとお母さんは、色々の所に遊びに連れて行ってくれたね。お父さん、余り体が丈夫じゃないのに……ありがとう。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

父親の愛情を全く知らずに育つはずだった俺が父親という存在を知れた。子供だと言ってくれてありがとう。お母さんを愛してくれてありがとう

海を見るとおじちゃんを思い出します。おじちゃんと初めてあったのは小学生の二年生くらいの時だったね。お母さんが離婚して初めて彼氏を紹介したいと言って歳が一つ下の大貴、まだ幼稚園児だった結衣、おじちゃんとお寿司屋で会ったのがまるで、昨日のように鮮明に覚えています。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

この前、墓参りに行ったら、やっと咲くようになった彼岸花まで除染作業で刈られてた。でもね、あきらめないよ。また植えるから

嫁ぎ先の家を新築する話が出た時「まだ時期じゃない。子供らが大きくなるまで待て」生前から超能力があるような気がしてたけど、原発事故が起きて避難民となった今、ほんと、おとうちゃんの言うことを聞いとけばよかったと反省。この前、墓参りに行ったら、やっと咲くようになった彼岸花まで除染作業で刈られてた。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

あたし、馬鹿だねえ~と笑われるようなおばあさんになりたいのだもの

あなたが亡くなって数年後、天袋の奥にあった柳行李のなかに十冊ほどの日記帳を見つけました。達筆なのか悪筆なのかわからない懐しいパパの字がびっしり。晩年のあなたたち老夫婦の生活ぶりを、ほほえましくせつなく読んでいて、そのなかにひょっとわたしの名前を見つけたの。たったの一行だったけれど、息が止まりそうになりました。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

「口論でもな、相手にも逃げ道を用意してあげなあかんのや」

お父さんが教えてくれたこと。「口論でもな、相手にも逃げ道を用意してあげなあかんのや。」その時は、なんて勝手なことを言っているんだろうと思ったよ。それがね、今になったらわかるの。相手をとことん追い詰めてはいけないと言うことを教えてくれたんだって。そのおかげで、私は多くの人との人間関係を壊さずにこれたと思うの。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

ママが今でも言うんだけどね。「パパの何が偉いって、一度も痛いと言わなかった」って

ほとんど、ベッドで横になってたパパだけど、調子が良いときは起き上がって、一緒にトランプで遊んだよね。もちろんセブンブリッジ。でも、あの頃は辛かったなぁ。何故って、パパが弱くなっていたから。私なんて掌で転がすように、簡単に勝てていたパパが、私に連敗するんだもの。
今は亡きあの人へ伝えたい言葉

お父さん……きついお仕事本当にご苦労さまでした。あなたと仕事ができてよかった

私お父さんに謝らなきゃならない事があります。生きてる時はとても口には出せなかった。お父さんの仕事の事。思春期だった私はお父さんが仕事辞めて代行業をしてるって友達にも言えなかった。何となく恥ずかしいと思ってた。

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