父は、私にだまされたまま天国に旅立ち、私は父に謝るチャンスを失った

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今は亡き父へ

おとうへ

「今年の十二月から二年間、ネパールに行ってくるね。」五月のある日、母に告げた。母にとって、寝耳に水の話だったにちがいない。母は、険しい表情で「あんたは怖いと思わないか。」とだけ言った。そして、その日からしばらく私と口をきかなかった。

反応は予想通りだった。

私は教員になって五年目、現職参加という制度を利用して、青年海外協力隊に参加することを計画し、合格して派遣国も決まってから、まず母に打ち明けたのだった。

日が経つにつれ、母はあきらめがついたのか、猛反対するにちがいない父に、なんて言おうか悩んでいる私を見かねて、「おとうには、文部省からの派遣だと言えば怒らない。自分から応募したのではなく、選ばれたと言えば、逆に喜んで送り出してくれる。」とアドバイスしてくれた。

どうせ止められないなら、快く送り出してあげようという母なりの考えだったと思う。

私は、少し心が痛んだが、反対されて怒鳴られて出発するのもいやだったので、母に言われたとおりに父に伝えた。父は、心配な様子だったけど「頑張ってこい。」と言ってくれた。

二年後帰国したら、本当の事を言えばすむことだと思った。父だって、なぜ青年海外協力隊に参加したいのか、話せばわかってくれたかも知れないのに、私は安易な方法を選んでしまった。

その年の十二月、予定通りにネパールに出発した。異文化満載のネパールでの生活は、新鮮で楽しくて父に嘘をついてきたことも、すっかり忘れさせた。

そんなある日、父が末期癌であるという知らせを受けた。そして父は、私がネパールに派遣されて九ヶ月後に他界した。父は、私にだまされたまま天国に旅立ち、私は父に謝るチャンスを失った。

あれから二十余年、時々思い出す。私が父についた嘘は、そうたいしたことではないかも知れないけれど、心のどこかでしこりが残ったままだ。

謝りたいことは、嘘をついたことよりも、父のことを端っから「分からず屋」だと決めつけて行動してしまったことだ。そして天国の父へ聞いてみたい。あの時、本当の事を話していたら、どんな言葉をかけてくれたのだろうか?

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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