今は亡き父へ
馬鹿は死ぬまで治らない
あなたが亡くなって数年後、天袋の奥にあった柳行李のなかに十冊ほどの日記帳を見つけました。
達筆なのか悪筆なのかわからない懐しいパパの字がびっしり。晩年のあなたたち老夫婦の生活ぶりを、ほほえましくせつなく読んでいて、そのなかにひょっとわたしの名前を見つけたの。たったの一行だったけれど、息が止まりそうになりました。
―― 今日、ゆきのが来た。あいつの馬鹿さ加減は、死ぬまで治らんだろう――
吐き捨てるように呟くパパの声が耳をよぎったわ。離婚をして娘たちと、あなたたちの近くの小さな借家で暮らしていた頃の年月日だけど、まったく覚えていない。その「馬鹿さ加減」が何のことか見当もつきません。面と向かってなにか言われたのか、ただ、ここに記しただけなのか、パパ、あなたは、覚えていますか。あの頃は、いいように甘えていたもの。その度がすぎたのでしょうか。
どんな「馬鹿」を言ったか、やらかしたか……。
そのときふっとおもったの、ちょっと待って、もしかしたら……パパ笑っていたのじゃないかしら、無論にがわらい。そしてこう呟いた。
―― まったく、しょうがねえ奴だなあ、お前、一体誰に似たんだ――
そしてあらためて文字を眺め、これは死ぬまで馬鹿でいいと、パパがお墨付きをくれたんじゃないのかしら、と勝手な解釈にいきあたったのです。そうじゃない?とあなたの写真に顔を近づけ、目を見て聞いてみました。答えは―― ばかやろう―― かしらと心の耳を澄ましたけれど、なにも返してくれなかった。だから勝手に《肯定》としましたよ。あたし、馬鹿だねえ~と笑われるようなおばあさんになりたいのだもの。
わたしは相変わらず馬鹿さ加減撒き散らしの生活です。
―― 俺は知らん、自分で責任とれよ――
といいたげなパパの写真に、もうちょっとだから、このままで……そちらに行ったら充分お目玉くらうから、と言ったの聞こえたでしょ。パパ、ちょっと笑った。と見えたけど、違います?自分の日記の短文を、娘が歳を重ねてますます賢明さ聡明さから遠ざかり、地に足の着かないへらへら暮らしの免罪符のようにしていることを、あなたは彼岸のどこかで苦々しく思っているのだろうなあ。ごめんね。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。