もし家族葬にしていたら、とんでもないことになったはず。お父さんは自分の人生を低く見積もりすぎでした

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今は亡き父へ

正しき誤算

急性心不全であっという間に亡くなったお父さん。前日まで元気に山菜取りを楽しんでいただけに、信じられない突然の別れでしたね。

何の心の準備もないままあっという間に葬儀が終わり、家族だけの静かな夜を過ごせたのは一週間が過ぎた頃だった。

お父さんの遺した手帳を開き、何か慰めになる言葉がないかと探していたときのこと。七十歳の誕生日を迎えた日に遺書に近いような言葉が記されていた。そこに「家族葬希望」の文字があり大騒ぎになった。

知らなかったこととはいえ故人の想いを無視してしまった形になる。悪いことをしてしまった、という気持ちはあったが、それとは別に「それは無理だよ」と一同苦笑。

実は式当日、平日にもかかわらずたくさんの方が参列してくださり、館内に納まりきらなくなるというハプニングが。急遽親族の控えの間まで参列席として準備してもらったのだ。

また、式に参列できなかった方が、翌日からひっきりなしにお悔やみに訪ねてこられるようになった。時には何組も重なり合ったりして応対する母は満足に食事もできないくらい。

もし家族葬にしていたら、とんでもないことになったはず。お父さんは自分の生きてきた歴史を低く見積もりすぎでした。お父さんにとって、家族葬の願いが叶わなかったのは誤算かもしれないけれど、家族にとっては正しき誤算。

それに、そんなにたくさんの方に慕われていたお父さんの人生を誇りに思うのです。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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