おれなりに頑張ったけど、結局、父チャンに敬礼させるごと偉ろうはなりきらんやった

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今は亡き父へ

父ちゃんに敬礼してもらいたい

父ちゃんが九十歳で天国へ旅立ってから、もう十五年が経ったね。今年の春もお彼岸に父ちゃんの墓参りに行ってきたよ。

その帰りに佐賀市の実家に立ち寄った際、家族の古いアルバムを見つけ、めくっていると、中から古びた「軍事郵便」の表示がある一通のハガキが出てきた。戦時中、父ちゃんが満州に出征していた時に、小学校への入学を間近に控えたおれ宛に送ってくれたもので、次のように書いてあった。

「カアチャンカラノテガミデハ ヒロシハ リクグンダイガクニハイッテ エライグンジンニナリ トウチャンニ ケイレイサセルンダッテ。ヒトツソノゲンキデ イッショウケンメイベンキョウシテオクレ。ソシテ ビョウキヲシナイコト コレガイチバンノ オヤコウコウダヨ。ケッセキセズ ゲンキデ ツウガクノホド イノリマス」と。

父ちゃんは、終戦で復員後、ペンキ屋を開業し、母ちゃんと共働きしながら、おれたち五人の子供を育ててくれた。おれも中学二年の頃から、学校が休みの日には、父ちゃんに頼まれてペンキ屋の手伝いをするようになった。手伝いの現場で、「跡継ぎの息子さんが居て、よかね。」と周囲の人たちから言われ、父ちゃんは満更でもなさそうだった。父ちゃんは内心では、長男のおれが中学を卒業したらペンキ屋を継いでくれることを願っていた。それでも、おれの願いを聞き入れて、高校、さらに大学への進学を認めてくれた。

小学校入学の際に、父ちゃんから送ってもらったハガキのこと、おれは覚えとらんやった。この春、改めて実家に残されていたハガキを見て、陸軍大学に入って偉い軍人になりたいというおれの幼い頃の願いを父ちゃんは忘れとらんやったのだな、それで大学まで進学させてくれたのだな、そう思った。

おれは大学卒業後、憧れていた背広姿のサラリーマンになり、一人でペンキ屋を続けていた父ちゃんが旅立って間もなく、定年退職した。出世払いできればと、おれなりに頑張ったけど、結局、父チャンに敬礼させるごと偉ろうはなりきらんやった。

その代わり、病気せんようにして、父ちゃんに負けんごと長生きしてみせるけんね。おれも七十八歳になったけど、この約束はきっと果たすけん、天国で会うた時には、「頑張ったな」と敬礼してくれんね。待っとってね。(以上)

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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