家の手伝いもやって当然、学校の成績も良くて当然、だって私はお姉さんだから。唯一、褒めてくれたのが父だった

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今は亡き父へ伝えたい言葉

好きに正直な生き方

「せっかく褒めてやろうと思ったのに、みずほはすぐどこかへ逃げてしまう。昔からそういうやつだ。」何気なく開いた父の手帳には、私への講評がこう綴られていた。

三人きょうだいの長子だった私は、母や祖父母から「お姉さんなんだからしっかりしなさい」と言われ続けて育った。家の手伝いも妹弟の相手もやって当然、学校の成績も良くて当然、だって私はお姉さんだからと、誇らしさと理不尽さの両方を感じて暮らしていた。

唯一、些細なことでも褒めてくれたのが父だった。

父は良くも悪くも自由な人で、市民劇団・商工会の祭事・演芸大会など、やりたいことに持てる時間全てを費やしていた。どういうわけか、私はこういう趣味の場に連れて行かれることが多く、舞台装置を動かしたりギターケーブルを捌く手伝いをさせられたりしたものだ。

簡単な作業が多く難なくやれたのだが、父は出番が終わる度に「重いのによく一人で運んだ」「リハーサルの配置とぴったり同じだった」と、私が気付かない点まで挙げ、満面の笑みで賞賛してくれた。

月に数回しか顔を合わせない父と、同じく滅多にかけられることのない賞賛の言葉に、私はどういう反応をすれば良いのか困惑したものだ。また、家とは違い朗らかで活発な父の姿に(これは偽者のお父さんだ)と不信感を抱くこともあり、高校に入る頃には(外面ばっかり良くして)と父を避けるようになった。

職場で倒れているのを発見されるまで、父の好き三昧の日々は続いた。家族の知らない間に仕事や趣味で広がった交友関係のおかげで、斎場から溢れた数十人の参列者の対応や、追加発注した香典返しの送付等で私たち遺族はしばらくてんてこ舞いだった。

会社員生活を送っている今、父に話したいことが大分溜まってきた。気付けば、仕事に趣味に、家族こそいないものの父と同じようにあちこち駆け回り暮らしているので、母からは「変な所ばかり似て」と苦笑される。

自分の「好き」に正直に生きる素晴らしさと、家族にかかる負担の両方を父は教えてくれた。遺された手帳には、仕事と趣味と生活の間で苦悩する父の言葉も山ほど綴られていた。どれか一つを諦めていたらもう少し楽に生きられたのではないかと思うのだが、五十数年で結論が出せるほど簡単な選択ではなかったのだろう。

私も今、父と同じ岐路にいる。どの道を選んでも多少の苦労は伴うだろうが、いずれにせよ「ナイス選択」と雲の上からまた褒めてほしいものだ。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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