どうすれば親父さんのようになれるのか、そんなことばかり考えていたような気がする。そして、認められたかった

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今は亡き父へ

親父さんとの勝負

「私全然出て来えへんわ」

「俺も全然やわ」

親父さんの三回忌の夜、酒を飲みながら夢の話をしていた。亡くなって二年もの間、母親も弟も夢で親父が出てきたことがないという。逆に僕は一体何度出てきたことか。叱られたり、何かボソって文句言われたり。大体がそんな夢ばかり。

「親父さん多分兄貴のこと心配やねんで」

「まあ、そらそうなんかもなぁ」

酔った頭で親父さんの遺影をぼーっと眺めた。確かに親父さんは心配なのかもしれないね。でも僕は最近になって気づいたことがある。親父さんがどうのではなく、僕が親父さんのことを意識しているのだということを。小さい頃から厳しくしつけられ、叱られた記憶しかなかった。

親父さんは運動神経がよく、手先は器用、歌もギターも上手く万能な人だった。方や息子の僕は全くの真逆。そんなことだから余計に息子の出来の悪さに苛立ちを覚えていたのでしょう。

僕自身もそんな自分にガッカリし、どうすれば親父さんのようになれるのか、少しでも近づくにはどうすればいいのか、そんなことばかり考えていたような気がする。そして、認められたかった。

いつの日か「お前すごいな、お前には負けたわ」そう言わせたかった。今だに運動も手先も歌を歌っても不器用。だからというわけではないが、親父さんがやらなかったことに挑戦しようとしている。

去年からハーフマラソンを走り始め、キャリアカウンセリングの講座にも通った。どちらも人見知りで気の短い親父さんにはできないことだ。僕はこうして親父が踏み込まないところに挑戦することで、「どや、親父さんにはでけんやろ」と優越感に浸ってるのかもしれない。

親父さん、今年で四十歳になった。人生の後半戦が始まろうとしてる。まだまだこれから。だから親父さんはいつまでも壁であり、目標であり、ライバルであり、自分を高めてくれるカンフル剤で居続けてほしい。そして、いつか夢の中で「お前すごいな、負けたわ」そう言ってもらおうと思う。

さあ、親父さん、勝負や。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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