祖母は死ぬところまで私に見せてくれて勉強させてくれたんだ

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今は亡き祖母へ

「かおりちゃ~ん!」

「ミナミにチョコレートバッファロー食べにつれてったろ!」

甲高い、明治生まれのハイカラな祖母の声が今でも耳元にはっきり残っている。何度言っても「チョコレートパフェ」のことを「チョコレートバッファロー」といってきかない祖母、そんな言い間違いを話のネタにして、私は時々主人や子供たちに自分の祖母の話を言って聞かせるのが好きだ。

生まれも育ちも根っからの大阪人の祖母はおしゃれで、それでいて声が大きく、いつも一緒にいるのが子供ながら少し恥ずかしかったものだ。ステーキが大好きで、ワインもたしなむ祖母は、明治、大正、昭和、平成と生き抜ぬいた。

一緒に住んでいる時は、いろんな事を感じていた。

でも、家族ってそういうもんなんだ。いいところばっかり感じるはずもなく、嫌なところの方が目につく、世代もまったく異なる祖母の昔話にはいつもうんざりしていたものだ。

そんな祖母が、脳梗塞を患い、あっけなく亡くなったのは私が二十六歳ごろの頃だった。ずっと一緒に生活していた人がいなくなる。私は十分に年齢を重ねていたにも関わらず祖母の死を受け入れることができなった。

人が死ぬということ。心臓が止まってしまうということ。

お医者さんの冷静な処置、葬儀屋さんの素早い行動、慌ただしいお葬式の準備、その後の法事……悲しむ間もなくとても忙しい日々が続いた。そして、自分なりにいろんな事を感じて考えた。祖母は死ぬところまで私に見せてくれて勉強させてくれたんだ。

忙しい葬儀の準備さえも、悲しみを紛らわせるには必要な作業であり、泣きくれていても何も進まないのだから。

あれから、二十年近くたち、私には小学生の子供二人がいる。祖母のことは、もう、明るく楽しい思い出しか残っていない。私のことを可愛がってくれた祖母、その子供たちを見たらどれほど喜んで、可愛がってくれるだろうか?

やっぱりチョコレートバッファローといってパフェをごちそうしてくれるのだろうか?ステーキを食べる度に、「ママのおばあちゃんは八十歳過ぎてもお肉もワインも大好きだったんだよ。」と語る私のことをどこからか見守ってくれてるのだろうか?

おばあちゃん生きてたらなぁ……もっと優しくしてあげればよかったなぁ……

四十歳をすぎた今でも、ほんの少しの後悔があるがこうしておばあちゃんのこと忘れずに家族で話しているのが一番喜んでくれている気がするのだ。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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