余命宣告を受けても“曾孫に逢いたい”と頑張ってくれたおばあちゃん。生きる力に涙が溢れました

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今は亡き“おばあちゃん”へ

「可愛いねぇ、おしりがなんとも、可愛いねぇ」

おばあちゃんが、産まれたばかりの待望の曾孫の姿をみて、目を細めながら言った言葉。今も、昨日のことのように、声も、その表情も覚えているよ。

私の産んだ娘は、おばあちゃんの生きるための希望の光だったよね。妊娠七ヶ月の頃、祖母の余命宣告。

「いつ亡くなってもおかしくない状態です」

そう医師から告げられて間もなく、食べても戻してしまうようになり、私も母も、心のどこかで、いつくるかわからない祖母の死という心の準備を始めていました。

「人間、口から食べれなくなったらおしまいだぁ」

おばあちゃんそう言って、涙目になりながら食べ物を一生懸命口に運んでいたよね。“曾孫に逢いたい”私達には直接言葉にすることはなかったけど、病院の先生や看護師さん達には、よく話してたんだってね!

待望の曾孫が産まれたのと同時に、おばあちゃんは歩く事も出来なくなったね。鼻からチューブをさしながら、娘を抱いてくれた時、おばあちゃんに可愛がってもらった思い出が蘇り、おばあちゃんの生きるための力強さに、涙が溢れて、おばあちゃんに恩返しを出来たような気持ちになったんだよ。

曾孫の誕生から一年三ヶ月で旅立つまで、残り少ない時間を、少しでも長く共に過ごすために、本当によく頑張ったよね。栄養も点滴から採るようになり、看護師さんからストップがかかるまで、口に運ばれる食べ物を必死で食べていたね。

食べることが大好きだったおばあちゃんと、私が作ったご飯を、何度一緒に食べただろう。何度、思い出話を聞きながら一緒にお酒を飲んだだろう。思い出ばかりが頭の中を駆け巡り、おばあちゃんが今も生きているような気がして、思いだし涙が溢れる。

私が、長男を妊娠したことを告げると「もういいよ~」そう言ったおばあちゃんは、自分の死期を悟っていたのかな?

おばあちゃん。

あなたの生き方は、私の誇りです。

あなたのように、強く、逞しく、気丈に、愛されるような生き方をしたいと、私は心から思っています。最後まで、弱音のひとつも吐かなかったあなたが待っていてくれると思うと、私が年を取りそちらに行く時、怖くないような気がします。その時、あなたに恥じない人間になっていたいと思っています。

あなたが心の底から愛した曾孫は、自閉症という障害がありました。人の何倍も頑張っていかなければいけない子です。あなたの生きていく力強さ、その逞しさ、優しさを、どうかどうか、この子を見守り、与えてあげてください。私には今でも、おばあちゃんがすぐそばで、その笑顔で、母も、私も、娘のことも、守ってくれているような……そんな気がするのです。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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