「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

父への手紙

野生の花が読書に目覚めた日

小金澤 裕子(福岡県福岡市)66歳

二十七年も昔の出来事となってしまったお父さんとの永久の別れ……。それは途轍もない悲しみではありました。しかし、日を追うごとにお父さんの期待に応えよう、という思いが悲しみを凌駕していきました。
そして、今日、柔和な表情のお父さんの写真に語りかけようとしている私です。
お父さんの期待……。
知ったのは父ちゃんからお父さんと呼称が変わる頃――中学一年生の終わりの頃でした。
或る日の夕方、三面に設えた本棚に収まりきれない本が処狭しと積まれた四畳半の部屋に、私は呼ばれました。
叱られるのかと緊張して入りました。何故なら戦後の民主主義とやらが私たち子ども社会にまで漸く浸透してはいたものの、それでも家族、学校、地域などの社会のそこかしこで見聞する家父長制度的現象を苦々しく思い、小さな反発を日々行っていたお転婆娘の私だったのだから……。
だが、お父さんは叱らなかった。
「裕子、お前は野性の花だ。例えばサボテンの花のような野花は砂漠でも咲くという。厳しい環境の中にあっても耐え忍びじっと雨を待ち、そして太陽に向かって伸び花を咲かせる。それが裕子だと思っている」
寡黙で、謹厳実直居士のようなお父さん。
瞳の奥には常に私たち家族を思いやる優しい光を宿していたお父さんの言葉は、心に大きく響きました。同時に初めてゆっくり見回すお父さんの部屋の本の山に私の目は釘付け!
「どれでも読んでいいぞ」のお父さんの言葉に、咄嗟に反応して手にしたのが『大地』の一部作でした。
この日を契機として、お父さんの部屋への出入りを許され、兄妹の羨望の目を尻目に内外の文学書を読み漁りました。学校の勉強をしない日があっても読まない日はないほどでした。
お父さんに言いましたよね。お父さんの蔵書の中の内外二百二十六冊を読んだ、と。
お父さんは驚き、「私の一生分を裕子は三年で読んでしまったな」と言いましたよね。
私は本は人間について、また人生についての示唆に富んでいるのを識りました。また、凡ゆる事象を大局的に大きな視野で捉えるようになったと自負しています。
お父さん、私の半生も起伏に富んでいました。
苦労の最中にあっても“明日は明日の陽が照る……”だよ、と飄々と生きてきました。『大地』の阿蘭の苦労に比べりゃ楽なものよ、とも呟きながら。
野花の私は健在です。お父さん! 死ぬまで野花の私です!


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