「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

母への手紙

母さんへ

宮川 ノブ子(大分県別府市)62歳

母さんが逝って五ヵ月が経ちました。元気でいるでしょうか。
もう話をすることもできなくなったね。
病院のフロアのテーブルで天井のガラス窓の光、ガラス窓の外からは桜の花がやさしく母さんと私の話を包んでくれていた。
ベッドの側で話したり、食堂のテーブルで母さんとずっと話ができたらいいなと思ったよ。
結婚して遠くに離れ、今また大分に帰ってきて六年と一ヵ月の時は、母さんとの時間を過ごせたこと、うれしくて、このまま時が止まってくれたらいいなという思いがいつもありました。
母さんと話している時、清掃の女性の人が「いいですね」とほほえみながら近くに来られ、十代の時にお母さんを亡くされたことを話してくれました。
六十代の私が母さんとこうして語り合っている幸せの一瞬を過ごせていることに感謝、有難く思いました。
母さん、八人の子供を育てるためにどれほどの苦労を重ねて大変だったか……。
小さな弟を抱き仏壇の前で泣く母さんの後姿を小学生の私は鮮明に覚えています。
女手一つ、それから前向きに、笑顔をもって働き、生きてきた。
一生懸命生きてきた母さんの後姿を見て、横道にそれない人間として、子供たちは皆、大人に育ちました。
母さんの道があったからです。母さん本当に有難うございました。
どんな時でも人へのやさしさや思いやり、それを、私が子供たちを育てる時の基本としました。娘二人に情緒を育てること。母さんのまねをしました。人間の大切なものは「人」だと母さんから学びました。貧しくても明るかった小さい頃の思い出。ホッカホカのストーブのあたたかさがいっぱいありました。
私は母さんの子供として生まれてきたことを誇り、最高の幸せをいただきました。
いつの間にかおばあちゃんと言われる歳になりました。
母さん、向こうの世界に行って、父さんと会えているのかな。いっぱい話をしているのだろうと思います。
涙が出てくるけれど悲しまないよ。笑顔をもって生きなさいと言ってくれたね。
急に死んだことを知らされて受け止められなかったよ。
葬式の時、兄弟姉妹、姪や甥もみんな集まって、いつものほほえみの母さんの遺影。
その後の食事は、なごやかでした。思い出話やいろいろな話に皆の笑顔がほころび、遺影の母さんも一緒に話しているようでした。夜、赤い月だったよ。


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