「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

友への手紙

日本橋

藤原 啓八 (千葉県習志野市)81歳

毎朝、晴雨に関わらず、富樫社長は、目の前に見える日本橋を目を凝らして幾月も眺めておられましたね。
あのとき社長が私に呟くように言った言葉に、心のなかでいささか反抗しながら応えました。
いま思うと恥ずかしいことですが、やっとこの歳になり社長のあのときの言葉の意味が理解されるようになりました。
「おい藤原君、……橋の上に高速道路が出来ると、橋が惨めと思わんかね。……なんのわだかまりもなかった悠久な姿も二度と見ることは出来ないね」
「社長そうですか。……やっと日本も高速道路の時代がやって来るし、とくに橋を壊すわけでもないし、さしさわりないと思いますが」
「そう言う君は賛成なんだね。……だがな、自然と同様な風物というか、情緒ある威厳さを失っては、ただの橋になるだけなんだよ。『有為転変は世の習い』ということかもしれんが……。日本橋だけは人々から不変な愛情を与えられると信じるが、これから情緒と威厳さを変り無く保つのは大変なんだよ。…来年、君は所帯を持つだろう。妻も子も安心して渡れる橋にするんだね。ありきたりな橋にならないように努力するんだね」

日本橋室町一丁目六番地。
早朝五時何分かに橋上を走り来る都電の乾いた音に続き、路面から伝わる振動に目覚める住み込みの十数年間。その毎日に別れを告げて所帯を持ち、それから八年間勤めさせていただき退職しました。しかし、いまでも私は第二の故郷は室町であると心に植え込まれているのです。
あのときの富樫社長の「情緒ある威厳さ」という言葉を忘れなかったからです。

室町に年に数度訪れて日本橋を眺めながら、過ぎ去った日がいま現在であるごとく、つい私の視線は、いまは無い勤めていた会社トミーシューズに向くから、不思議でなりません。
社長のアイデアで都内の靴磨人を集め、靴磨きの指導と、数年にわたり日本橋際で盛大に行われた靴磨きコンクールの催し。いまでは立派な職業人もいるといいます。
いまはそのような風景は見られませんが、室町に訪れるたび日々変りゆく町並の中で、たとえ重苦しい天蓋のような高速道路に覆われていっても、情緒と威厳のある日本橋があるからこそ、私の心は、富樫社長の思い出と、過ぎ去った日本橋の風景に美しく誘われます。
いまは同僚だった元社員の所在はわかりませんが、何処かで私と同様に、社長と、日本橋の情緒と威厳のある姿を思い浮かべているに違いありません。
私はその思い出をもちながら、やがて消え去ろうとしている年代ですが、歩む力のある限り、室町そして日本橋の風景を追い続けるつもりです。
社会の数知れない橋を妻子と共に無事に歩み続けてこられたのは、社長のあのときの教訓が心に潜在していたからです。

第二の故郷、室町と日本橋を思う心を育ててくれた富樫社長。本当にありがとうございました。


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