「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

友への手紙

心で焼け

雪の玉 (北海道札幌市)71歳

あれから十九年、今も決して忘れることのできない、あの阪神大震災。
当時私は大阪に住んでおり、仕事の合間をみては神戸にでかけていました。
目的は神戸山の手にある小さなパン屋さん。とても美味しいそこのパンは神戸一番と言っても過言ではありません。
もちろんパンだけではありません。お店のマスターがまたすばらしい人なのです。本場フランスで長年修業し、神戸のこの地にお店を出したのです。そんなマスターが常々言われるある言葉、それは、
「パンは火で打て、焼きで打て、そして心で焼け」
なかなか気合の入った名言だと私は思います。
そんな厳しかったマスターは今はもういません。
あの阪神大震災発生時、私は仕事をキャンセルし、真っ先にマスターの救助に向かったのです。
現場で目にした光景は、燃え盛る神戸の街。しかし怯むことなく、私はヘルメット、長革靴に履き替え、降り頻る火の粉を払いながら、あのパン屋に向かって歩き続けました。傾いた家から落ちてくる火の欠片に、行く手を阻まれながら、、それでもやっとあのパン屋にたどり着きました。
だが、見るも無惨なパン屋の光景に、私はただ呆然とその場に立ちすくみました。
気を取り直し、崩れた店の中に飛び込み、必死にマスターを探し続けたのです。約一時間後、厨房内で什器の間に挟まれているマスターを発見。什器を移動し、何とか助け出しましたが、呼ぶ声に返事は返ってきませんでした。
当時、そんな私の姿を見ていた息子は、なぜかパン職人になると言って家を飛び出し、マスターと同じようにフランスへと旅立ちました。
息子はやがて日本に帰国。しばらくは小さな店を借りて、細々とパン屋をオープンさせました。しかし、何を思ったのか、今度は海外で出店するのだと言ってマレーシアに移住、そこで再度パン屋さんをオープンさせたのです。店の名前も「ジャパン・コウベ」として神戸の味を異国地で広めようと日夜頑張っているのです。
私はマスターのお墓の前でこう伝えました。
「マスター、息子もおかげで今は立派にパン職人になり、異国の地でがんばっているよ、『心で焼け』と。これからも息子のパン屋を応援してやっておくれよね。そのうち息子の作ったパンをお墓にお供えするからね」


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