「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」作品集

家族へ・親戚への手紙

くにおくんへ

みやら 雪朗さん(71歳) 神奈川県横浜市

先月、石垣島へ帰り、『尖閣列島戦時遭難慰霊之碑』にお参りしてきました。姉さんたちと、代わる代わる石碑に刻まれた君の名前を指でなぞったよ。  

別れたのは君が一歳の時だったから、ぼくには母さんのおっぱいを吸う、赤ちゃん姿の君しか思い浮かばない。今生きているとしたら、戦後と同じ年の六五歳になるわけだよね。ぼくはもう七一歳になった。五歳若い君が今生きていたら、そして「あにき!」などと呼んでくれたら、姉三人の下で育ったぼくの人生が、どんなに素晴らしいものになっていたか、想像すると楽しいよ。できたら兄弟喧嘩もしてみたかったな。

忘れもしない、君の短い人生は、戦争の真っただ中の昭和二十年。なんの玩具もない時代だった。山への避難やら船での疎開やらで、一緒に遊んであげる時間も無かった。君はまだ「ニイニ!」とさえ喋れなかったのだよ。米軍から逃げる台湾への疎開が、空襲で一転して、無人島(魚釣島)に漂着した五十日の飢餓生活になってしまった。  

一番分が悪く、かわいそうなのは末っ子の君だったね。勿論、離乳食なんてない。母さんも食物がないからお乳も出ない。それで、まだ生え揃わない前歯で乳首を思い切り噛んだのだね。母さんは百三歳で亡くなるまで、繰りかえし胸を押さえて泣いていたよ。
「邦夫ちゃんの方が、私より何倍も辛かったのよ。かわいい盛りを、戦争であんな無人島まで流され、ひもじい思いだけさせて逝かせちゃった。一生心残りだよ」
ってね。  

すまないと思うよ。ぼくらが餓死をまぬかれたのは、結局は、幼い君の食べる分を、年上のぼくらが食べてしまったからだって。ぼくらは、決して忘れることないからね。  

その母さんとも、ようやく天国で会えたんだね。
失った長い長い歳月、くにおくん、たっぷり母さんに甘えてくれたまえね。
遠慮なんかいらないよ。
母さんも、もう一度、その胸に君をしっかりと抱きしめたいだろうからさ。


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