仏教解説:真宗大谷派
宗祖とご本尊
教え
仏さまになるには、修行によって煩悩を断ち切り、善根を積むことが必要である、とされてきました。しかし、今の私達にとって、それを毎日続けてゆくのは非常に難しいことなのではないでしょうか。
そこで、阿弥陀如来は私達のような者を救おうと誓い、浄土を建立したのです。この、阿弥陀如来の建立した浄土に生まれる道を説くのが真宗の教えです。阿弥陀如来は私達のような者こそを、救いの対象にしているのだと説いてるのです。
また、真宗では、「阿弥陀如来に帰依すると決めた時点で、誰でも仏になることが約束される」としています。ですから、阿弥陀如来に帰依した後の念仏は仏になるために唱えるのではなく、仏になれた感謝の表現として唱えるものなのです。自分の修行などによって極楽浄土へ往生しようとする「自力念仏」ではなく、阿弥陀如来を信じ感謝の心とともに唱える「他力念仏」が真宗の念仏なのです。
お唱えする言葉
なむあみだぶつ
「南無阿弥陀仏」
よく読まれる経典
かんむ りょうじゅきょう
『観無量寿経』
む りょうじゅきょう
『無量寿経』
あ み だ きょう
『阿弥陀経』
きょうぎょうしんしょう
『教行信証』
しょうしんねんぶつげ
『正信念仏偈』
総本山
しんしゅうほんびょう ひがしほんがん じ
真宗本廟 (東本願寺)(京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754)
歴史
承安3年(1173)、親鸞は京都に生まれ9歳で得度しました。その後20年間に亘り比叡山で修行をつづけますが、やがて比叡山の仏教に絶望し法然を訪ねます。そこで法然の専修念仏の教えに感銘し入門します。
しかし、念仏禁止令が発布され、越後に流罪。流罪先で結婚した親鸞は非僧非俗(ひそうひぞく)の境地をひらき自らを「愚禿親鸞」(ぐとくしんらん)と名乗ります。流罪が許された後、妻子を伴って関東で布教を始めます。そして元仁元年(1224)浄土真宗の根本聖典になる『教行心証』(きょうぎょうしんしょう)を執筆、この年が立教開宗の年とされています。
晩年は家族とともに京都へ帰り、90歳で往生するまで、盛んに執筆活動を行い、同時に関東の弟子達へ手紙で指導をつづけました。
親鸞の死後、教団は次第に衰微していきますが、第八世蓮如によって再興をはたします。
そして、巨大教団へと発展したため、他宗派や大名からの弾圧がはじまります。織田信長の本願寺攻略をはじめとして、時の権力者に翻弄され西本願寺と東本願寺にわかれますが、宗勢は衰えることなく、現在に至ります。
お仏壇の飾り方
阿弥陀如来をご本尊として中央に飾ることが多いようです。脇掛けは向かって右に「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号、左に「南無不可思議光如来」の九字名号を飾ります。あるいは右に親鸞聖人、左に蓮如上人のご影像を掛けることもあります。脇掛けが十字名号・九字名号の場合、その前に仏飯器はそなえません。
※右の図は一例です。地域や仏壇の大小などによってまつり方に違いがありますので、正しくは菩提寺にお聞きください。
主な行事