【仏教解説】日蓮宗とは?成り立ちや教え、お題目

日蓮宗、日蓮聖人

日蓮宗とは、日蓮(日蓮聖人)が説いた宗派です。さまざまな災害や戦乱で混沌としていた時代に、人々を救うために生まれた日蓮宗は、現在も多くの人々に信仰され続けています。

日蓮宗の成り立ちや教え、葬儀の特徴などを知っておくことは、自分や身内のライフエンディングを充実させることにつながります。ライフエンディングを考えている方は、ぜひ参考にしてください。

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日蓮宗の歴史

平安時代中期から鎌倉時代初期にかけて、大地震や噴火などの災害が各地で多発し、貴族社会から武家社会へ移り変わる中で戦乱が繰り返され、飢饉や疫病で苦しむ人々が後を絶ちませんでした。

そのような社会的混乱や不安が広がる中で、仏様の教えにより人々を救おうとさまざまな宗派が生まれることになります。その一つが日蓮によって開かれた日蓮宗です。

平安時代中期から鎌倉時代初期にかけて、大災害が多発しその社会的混乱から人々を救うためにさまざまな宗派が生まれました。

16歳で出家し、比叡山や高野山などで修業を積んでいた日蓮は、妙法蓮華経(法華経)こそが仏教を説いた釈迦の唯一の教えであると確信します。そして、「天変地異が繰り返されるのは邪法や悪法が世間に広まっているからだ」と説いた『立正安国論』を執権北条時頼へ提出しますが、その内容を幕府に危惧され伊豆に流罪されてしまいます。しかし日蓮はそういった数々の迫害を乗り越え、1253年(建長5年)にはお釈迦様による法華経の教えをよりどころする日蓮宗を立教し、布教につとめました。

現在、日蓮宗寺院は全国に5,300ヵ寺あります。日蓮は晩年を山梨県で過ごし、日蓮と弟子によってたくさんの寺が開かれたため、山梨県は特に日蓮宗を信仰する人々が多い地域となっています。

日蓮宗の教え

宗派名に日本人の宗祖の名前が使われているのは、13ある宗派の中でも日蓮宗だけです。それほど日蓮宗は、日蓮が与えた多大な存在意義が深く反映されている宗派であるといえるでしょう。
日蓮宗ではお釈迦様が説かれた教え、妙法蓮華経(法華経)を何よりも大切にしています。日蓮は、法華経はお釈迦様の心そのものを表したもので、題目である「南無妙法蓮華経」の7文字こそ功徳のすべてであると考えました。

当時、法華経以外の経典では、女性や武士をはじめとする一部の人々は成仏できないとされていました。その状況下で、法華経の説く「差別なく万人を平等に成仏できる」という仏教思想の原点に今こそ戻るべきであるとした日蓮の教えは、当時の仏教界に新たな風を吹き込んだのです。

お唱えする言葉

「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」

日蓮宗では「南無妙法蓮華経」を繰り返し唱えることを最も重要な修行・信仰だとしています。繰り返すことで、死後に「霊山浄土(りょうぜんじょうど)で釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)にお会いし、成仏することができる」とされているのです。

よく読まれる経典

日蓮宗での経典は「妙法蓮華教(みょうほうれんげきょう)」(法華経)です

「妙法蓮華教(みょうほうれんげきょう)」(法華経)

法華経への独自の解釈

法華経というのは経典の一つです。晩年のブッダがインドで説いて以降、アジアのさまざまな国に法華経はもたらされました。28章からなりたつ法華経は、かつて聖徳太子も解説書を書いたといわれています。 天台宗の開祖である最澄も法華経の教えを基本としています。

また、 曹洞宗や臨済宗に関連する主著でも、法華経の内容が多く引用されています。現代の仏教界にも多大な影響を与えている経典であり、新興の仏教系宗教でも法華経の教えをもとにしているところが少なくありません。

日蓮は、この法華経の教えを独自に解釈し、飢えや争乱で苦しむ人々を救うため、各地で説法を繰り返したのです。日蓮宗では、この法華経の内容から題目を唱えることで成仏できる、との考えがあるため、現在でも日蓮宗の葬儀や法要では「南無妙法蓮華経」の題目を僧侶があげています。

幕府の怒りを買い島流しに

日蓮は、 膨大な時間をかけ、あらゆる経典を学びつくした結果、 国を栄えさせ、人々を幸福にするためには法華経しかない、という結論にいたりました。そしてその教えを当時の幕府に対しても主張します。

日蓮聖人は、幕府の怒りを買い、伊豆や佐渡に島流しされました

『立正安国論』を著し、伊豆へ島流し

地震や洪水、飢饉、疫病などの災害が起こるのは、人々や幕府の間違った信仰が原因で、法華経の教えに基づかなければ、さらに災いが起こるという『立正安国論』を著し、時の権力者であった北条時頼に送ります。ここでは国内で内乱が起こるという「自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)」や、外国から侵略を受けるという「他国侵逼難( たこくしんぴつなん )」についても記されており、後の元寇などを予測したともいわれています。

しかし、彼のこうした主張は幕府の怒りを買ってしまいました。草庵は焼き払われ、 日蓮聖人は伊豆へ島流しされました。やがて許されますが、再び彼は幕府に対して諫言をはじめたのです。

幕府や他の宗派を批判し、佐渡へ島流し

以前と同じく、法華経の信仰こそが人々を救う唯一無二の方法であると強く幕府に迫ったのです。

しかしここでも幕府や他の宗派を批判した罪で、今度は佐渡へ流罪となりました。佐渡に流される前に、腰越龍ノ口刑場にて処刑されかけますが、処刑を執行しようとするときに、不思議なことが起こり刑が中止となったという伝説も伝わっています。

日蓮聖人が佐渡で罪人として暮らす日々は4年にもおよびますが、この時、日蓮宗の本尊とされる法華曼荼羅を顕されたともいわれています。やがて赦免となり、その後、信者の招きによって身延山に入ることになります。

お仏壇の飾り方

中央には十界曼荼羅か、釈迦牟尼仏、あるいは三宝尊のいずれかをご本尊としてまつります(三宝尊とは向かって右に多宝如来、中央に「南無妙法蓮華経」のお題目、左に釈迦牟尼仏を配したものです)。その右に鬼子母神、左に大黒天をまつります(法華宗では逆)。そしてそれらの前中央に日蓮聖人をまつります。

※地域や仏壇の大小などによってまつり方に違いがありますので、正しくは菩提寺にお聞きください。

主要な寺院と現在

山梨県にある身延山久遠寺が総本山になります。日蓮や日蓮宗に関わりの深い重要な寺院は大本山と呼ばれ、千葉県・誕生寺、千葉県・清澄寺、千葉県・中山法華経寺、静岡県・北山本門寺、東京都・池上本門寺、京都府・妙顕寺、京都府・本圀寺の全7寺あります。

日蓮は1282年(弘安5年)10月13日に池上(東京都大田区)で亡くなりました。東京都・池上本門寺では、日蓮聖人の忌日として前夜からお会式(おえしき)と呼ばれる盛大な法要が営まれ、数十万人におよぶ参詣者が訪れます。百数十基の華やかな万灯が深夜まで池上の街を練り歩く万灯行列は全国的にも有名です。

総本山・身延山久遠寺について

総本山のある山梨県・身延山は、日蓮が晩年の9年を過ごし、法華経の読誦と弟子たちや信徒の教育に力を注いだ場所です。身延山久遠寺の境内には、御真骨堂があり日蓮の真骨が奉安されています。日蓮が亡くなった後も、日蓮門下の一人である日向(にこう)上人とその門流によって受け継がれ、現在に至るまで守られてきました。

広い境内には、立派な寺院や五重塔などが建立されていて無料で拝観できるほか、全国しだれ桜10選にも選ばれている樹齢400年のしだれ桜を楽しむこともでき、いつも多くの人が参拝に訪れています。「自分の家系は日蓮宗だとわかっていたけど、日蓮宗のことは詳しく知らない」という方も、観光を兼ねて久遠寺へ気軽に出かけてみてはいかがでしょうか。

日蓮宗のお会式

今、お会式といえば、日蓮宗の宗祖、日蓮聖人の入滅(亡くなった)10月13日、またはその日を中心に行われる日蓮宗の行事を指すことがほとんどです。

中でも、東京都大田区にある日蓮宗大本山池上本門寺で行われるお会式は多くの人が集まる法会としても有名で、江戸時代には安藤広重の浮世絵、『名所江戸百景』にも描かれるほどでした。こうしてお会式は秋の風物詩として、俳句の秋の季語にもなっています。

また、池上本門寺はもともと、日蓮聖人が亡くなった場所、霊跡に建てられたお寺で、正式な名称である長栄山本門寺は日蓮聖人がつけたといわれています。

日蓮聖人が亡くなった場所は現在、池上 大坊 本行寺があります。本行寺には、日蓮聖人が亡くなった場所に建てられた「ご臨終の間」というお堂があります。

池上本門寺のお会式の流れ

2018年の池上本門寺のお会式の主な法要です。

10月11日

第一座法要

10月12日

10時~:宗祖御更衣法要

14時~:宗祖報恩御逮夜法要

18時ころ~:万灯練行列(まんどうねりぎょうれつ)

10月13日

7時~:特別説法・臨滅度時法要

万灯練行列

日蓮聖人が亡くなった日に、庭の桜の木に季節外れの花が咲いたという故事があります。この桜をお会式桜といって、命日の前日の夜、逮夜(たいや)に池上本門寺ではお会式桜の花を模した万灯(まんどう)を灯して練り歩きます。夜空に映える万灯はとてもきれいで、全国から大勢の方が参拝に集まります。

江戸時代にはこの万灯行列の先導を火消しが務めました。

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