【仏教解説】真言宗とは?歴史や教え、特徴について

真言宗とは空海(弘法大師)を開祖とする仏教の宗派のひとつです。「即身成仏」を説いたもので、平安時代から現代まで1200年以上続いています。即身成仏とは、いったいどのような教えなのでしょうか。

また、空海とはどのような人物だったのでしょうか。

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真言宗の歴史

真言宗の歴史

真言宗は13ある仏教宗派のひとつで、平安時代初期に空海(弘法大師)が日本へ広めました。

当初空海は、密教を学ぶために中国へ留学していました。密教とは言葉だけでなく、心や身体の感覚全てを使って、秘密に扱われる教えや礼儀などを師から弟子へ伝えていくことを言います。その密教を、日本へ伝えたのが、真言宗の始まりでした。このため、真言宗を真言密教と呼ぶこともあります。

空海は中国に留学したとき、師匠となる恵果和尚(えか/けいかわじょう)に出会い、入門します。恵果和尚は、延暦24年(805年)に空海と会うなり、1,000人を超える弟子の中から正式な密教の継承者として、空海を選びました。半年という短い期間でしたが、空海は恵果和尚から密教の伝授を受けました。和尚は、その年の12月に亡くなり、空海は翌年日本へ帰国しました。

真言宗はその後、空海の全国行脚を経て広まっていったと言われています。

真言宗は、古義真言宗・新義真言宗・真言律宗の3つに大きく分けることができます。さらに宗派は全部で18あり、真言十八本山と呼ばれています。このうち、古義真言宗は、空海が開いた最初の教えを重視しており、13宗派が当てはまります。

これに対し、宗派を再生しようとして高野山を追われた覚鑁(かくばん)が始祖となった宗派が、新義真言宗です。また、真言律宗は仏教の一派である律宗と真言宗が融合したものです。このほかにも多くの派が誕生しています。

真言宗の教えとその特徴

真言宗の教えの基本は即身成仏

真言宗の教えの基本は「即身成仏」です。これは、仏と同じように行動し、心を清く保つことで、誰でもすぐに仏になれるという意味です。そのために、前述した密教の修行がとても大切になります。

密教の修行には、体の修行である身密・言葉の修行である口密・心の修行である意密の3つがあり、これを合わせて「身口意(しんくい)の三密修行」と呼んでいます。

空海が書いた「即身成仏儀」には、六大・四曼・三密の3点から即身成仏に達するための手法が書かれています。六大とは、火や水・風などの物質を表す五大に、精神を意味する識を加えています。四曼とは、大マンダラ・三昧耶マンダラ・法マンダラ・羯磨マンダラをさします。

マンダラとは、悟りの境地を絵で示したものです。三密とは身口意です。これらが真言宗の重要な骨組みを成しています。

真言宗の根本となる仏様は、大日如来です。大日如来は全ての徳を備えていて、全ての仏様は大日如来が姿を変えたと考えられています。そのため、たいてい仏壇の中央に大日如来を祀ってあります。

お唱えする言葉

高野山真言宗

「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」

醍醐派

「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)、南無聖宝尊師(なむしょうぼうそんし)、南無神変大菩薩(なむしんぺんだいぼさつ)」

御室派

「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)、南無禅定法皇(なむぜんじょうほうおう)」

智山派

「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)、南無開山興教大師(なむかいざんこうぎょうだいし)」

豊山派

「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)、南無興教大師(なむこうぎょうだいし)、南無専誉僧正(なむせんよそうじょう)」

読まれる経典

  • 「般若理趣経(はんにゃりしゅきょう)」
  • 「大日経(だいにちきょう)」
  • 「金剛頂経(こんごうちょうきょう)」
  • 「蘇悉地羯羅経(そしつじからきょう)」
  • 「瑜祇経(ゆぎきょう)」
  • 「要略念珠経(ようりゃくねんじゅきょう)」

理趣経とは

「金剛頂経」という大乗仏教が作成した密教経典の中の「理趣広経」を漢訳したものが「理趣経」です。理趣経は「般若理趣経」や「百五十頌般若」とも呼ばれており、般若の名前がつく通り、般若経典の一種です。主に真言宗派によって使用されることが多いのですが、般若心経を読む会などでは、他宗派の僧侶が読誦(どくじゅ:声をだしてお経を読むこと)することもあります。

理趣経は、1~17の章から構成されており、そもそも人間は汚れた存在ではない、という思想が根本にある経典です。本文には、読誦をすることで功徳が得られるという記載があるなど、仏教の経典の中でも他にはない特徴があります。そのため真言宗は元より、他の宗派の曹洞宗や天台宗でも、「理趣広経」の訳本の一種である「理趣分経」が使用されています。

「この経典を読み上げている時に風にあたると病気にならない」という信仰や、「読誦をすると病気除けになる、収入が増える」といった話が流布するなどして、民間の間でも親しまれてきました。

仏教の中でも珍しい記述がある経典

理趣経は、他にはない特徴があります。特に有名なのが十七清浄句です。この部分では情交やさまざまな欲望に対して肯定的な記載がされています。これらは不浄なものではなく、そういった欲望によって人間が間違えた方向に行ってしまうのがいけないことなのだ、誤った道へ行かずに悟りへの道に精進をするべき、という旨の文章があるので、単に性を認めた経典ではありません。

しかし、この性の部分だけが過大解釈され、情交や欲望を正しいとする経典と勘違いされてしまうことがあります。

昔は高野山で修行した僧侶だけが理趣経を読誦することができました。そのため在家がこの経典を理解することを厳しく禁じており、読誦をする際にも音を聞いて語の意味を理解できなくするために、一般的な経典の読み方ではなく漢音読みで行っていました(政府の命令により漢音を使用しているという説もあります)。

例えば金剛を、「きんこう」と読み、清浄を「せいせい」と読む、といった形です。如来は通常「にょらい」と読みますが、理趣経では「じょらい」と読みます。

理趣経が引き裂いた、最澄と空海の仲

天台宗の開祖である最澄は、真言宗の開祖である空海に弟子入りをして密教を学びました。天台宗の教えを確立させるため、最澄は空海から幾度となく経典を借りていました。

空海も最初は快くそれを許していたのですが、「理趣経」だけは、最澄の要求を断ったとういきさつがあります。

空海は書簡で、最澄に「理趣経は、体験を通じて初めて理解できるものであり、文字だけで理解をすると誤った解釈をされてしまう可能性がある。しっかりと学びたければ高野山に来て3年間、1対1で学ぶように」といったのです。経典に書かれてある文字だけで密教を理解しようとしていた最澄に対して、空海はそれでは密教の教えに反すると伝えたのです。

密教においてもっとも重要なのは、書物には決して書かれていないことを直接、師から弟子へ伝えられて初めて理解できるということで、書物からの学びだけでは本当の教えは理解できない、というのが空海の考えでした。

これをきっかけにして2人は絶縁していくことになりました。それでも密教の教えを大事だと考えている最澄は諦められず、弟子である泰範を空海のもとに送りますが、最終的には泰範は高野山に留まります。泰範は空海を一生の師とし、最澄のもとに帰らなかったのです。

また、理趣経は、男女の交歓自体が仏の道に通ずるという教えを流布する「真言立川流」という宗教を作ってしまった過去もあります。この宗教は、当時の権力者であった宥快(ゆうかい)などによって邪教とされ、弾圧されやがて壊滅してしまいました。

信念仏偈とは

日本で多くの信者を抱えている浄土真宗では、正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)を唱えています。正信念仏偈とは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が浄土真宗の教えの要点をまとめていると言われ、教行信証の本質的なものとされています。

大きく、前半と後半に分けられています。前半では人々をすべて救うということを信じ、念仏を唱えることの良さと豪壮さについて宣言されています。後半では、この教えを伝承した日本やインドの高僧の功績を取り上げて、それぞれを讃えています。

お仏壇の飾り方

仏壇の飾り方

分派が多く、また地域による違いもあり、飾りかたはさまざまですが一例をあげます。

高野山真言宗では中央にご本尊である大日如来を、向かって右側に弘法大師、左に不動明王をまつります。豊山派・智山派では左に興教大師覚鑁、あるいはそのかわりに不動明王か、観世音菩薩や地蔵菩薩などをまつることが多いようです。

※地域や仏壇の大小などによってまつり方に違いがありますので、正しくは菩提寺にお聞きください。

主要な寺院と現在

真言宗の主な宗派は16あり、その総大本山が18あるため、真言宗十八本山と呼ばれています。代表的な宗派と本山は、次のとおりです。

  • 高野山真言宗…金剛峰寺(和歌山県伊都郡)
  • 醍醐派…醍醐寺(京都市伏見区)
  • 東寺真言宗…教王護国寺(京都市南区)
  • 泉涌寺派…泉涌寺(京都市東山区)
  • 御室派…仁和寺(京都市右京区)
  • 大覚寺派…大覚寺(京都市右京区)
  • 善通寺派…善通寺(香川県善通寺市)
  • 智山派…智積院(京都市東山区)
  • 豊山派…長谷寺(奈良県桜井市)
  • 新義真言宗…根来寺(和歌山県岩出市)

この中でも、高野山は、真言宗最大の総本山です。平安時代はじめに空海によって開かれた日本仏教の聖地です。高野山は「一山境内地」と呼ばれ、高野山全体がお寺という特殊な形式がとられています。

「金堂」と呼ばれる建物が高野山の本堂にあたり、重要行事のほとんどがここで執り行われています。

年間を通して数々の行事がありますが、その中でも規模が大きいのが「高野山ろうそく祭り(萬燈供養会)」です。これは、一の橋から奥之院(空海が入定されている高野山の聖地)まで、約2kmにわたって続く参道が、およそ10万本のろうそくによって照らし出されます。その光景はとても幻想的で、つい見とれてしまうほどの美しさです。

お盆の時期にあたり、ご先祖や奥之院に眠る全ての御霊を供養します。高野山の夏の恒例行事として、毎年たくさんの参拝客が訪れます。

空海(弘法大師)ゆかりの地

弘法大師御廟

高野山の奥の院にある弘法大師御廟では、今でも空海が生き続けて禅定をしているとされており、1日2回、空海に食事を届ける「生身供」の儀式が行われています。御廟へと続く参道沿いには、歴代の天皇をはじめ、織田信長や明智光秀などの戦国武将、親鸞や法然など他宗派の高僧など、有名な人物から無名の人々まで大小約20万基もの墓碑・供養塔が並んでいます。

御厨人窟(みくろど)・神明窟

御厨人窟(みくろど)・神明窟は、室戸岬にある海蝕洞です。空海は御厨人窟に居住し、神明窟での修行中に口の中に明星が飛び込み、悟りを開いたと伝えられています。空海という名は、洞窟から空と海しか見えなかったということから名付けました。

東寺

京都駅から見える五重塔で知られる東寺は、日本で最初の密教寺院です。正式名称は教王護国寺ですが、「東寺」や「弘法さん」と呼ばれ、親しまれています。講堂には、空海による立体曼荼羅が安置されています。大日如来像を中心に21体の仏像が拝され、空海が構想した密教の世界が表現されています。また、1994年には世界遺産として登録されました。

四国八十八ヵ所霊場

四国地方に八十八ヵ所ある、空海にゆかりのあるの寺院です。これらの寺を巡礼することを、遍路といい、今も多くの人々が巡礼をしています。

空海(弘法大師)のエピソード

空海は真言宗の基盤を確立するとともに各地を巡錫し、朝廷や貴族だけでなく民衆からも絶大な信頼と人気を集めました。821年、満濃池(香川)改築の責任者として着任した空海は、当時の最新工法により、わずか3ヶ月で工事を完成させたと言われています。また、828年には、京都に庶民のための学校である「綜芸種智院」を開校しました。

「弘法も筆の誤り」という諺で知られているように、空海は書家としても優れた人物でした。嵯峨天皇や一緒に唐に渡った橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに、平安の三筆と称されています。最澄に送った書状をまとめた「風信帖」など、国宝に指定されている真跡が数多くあります。

まとめ

真言宗が1200年以上続いている理由は、人々が安心して生活できるような思想を基にしているからであり、ひいては世界の平和を願っていることが大きいでしょう。

真言宗の葬儀は、他の仏教と比較すると特徴的な点が多く、そのルールやマナーに戸惑ってしまうことが多いかもしれません。真言宗での葬儀を検討されている方、また葬儀に参列したときの心得を知りたいとお思いの方は、どうぞお気軽にご相談ください。

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