2016年12月31日に逝去された音楽ディレクター、石坂敬一さんのお別れの会が2017年2月8日、東京・港区の青山葬儀所で開かれました。
お別れの会は実行委員会が主催。委員長は斉藤正明氏(一般社団法人日本レコード協会 会長)、副委員長は藤倉尚氏(ユニバーサル ミュージック合同会社 社長兼最高経営責任者)、小林和之氏(株式会社ワーナーミュージック・ジャパン 代表取締役社長兼CEO)、小池恒氏(オリコン株式会社 代表取締役社長兼CEO)が務めました。
お別れの会には2,300人の人が参席。生涯の大半をレコード業界に捧げ、日本の音楽業界の発展に尽くした故人のためにつくられた生花祭壇は、中央には巨大なレコードが飾られていました。
お別れの会の施行は株式会社JA
レコード業界の発展に捧げた一生
石坂敬一さんは1968年に慶應義塾大学を卒業後、東芝音楽工業(株式会社EMIミュージック・ジャパン)に入社。
洋楽ディレクターとしてビートルズやピンク・フロイド、レノン&ヨーコ、Tレックス、エルトン・ジョン、ジェフ・ベックなどロックスターを担当。1981年からは邦楽本部長として、BOØWY(ボウイ)、松任谷由実、長渕剛、矢沢永吉などアーティストを担当しました。
その後、ユニバーサルミュージック社長、会長、日本レコード協会会長、ワーナーミュージック・ジャパン会長、名誉会長などを歴任。2015年からはオリコンの社外取締役を務めていました。
この間、2007年からは一般社団法人日本レコード協会の会長も務めています。
晩年は、東京FMのラジオ放送「Kei’s BAR」にさまざまなゲストを招いて番組制作を楽しんだという石坂さん。
お別れの会でも、その番組の一部が紹介されました。
菩提寺の高野山東京別院より授与された戒名は「功顕院音樹敬楽居士霊位」。
「音樹」とは中国の故事の言葉で、木々の葉が重なり合って風になびいて揺れている時に音楽を奏でる、という意味で、石坂さんの音楽に生きた人生から、この戒名が授与されました。
直径3.2メートルのレコード祭壇
レコード業界の発展に人生を捧げてきた故人にふさわしく、生花祭壇の中央には遺影として大きなレコードを飾っています。
レコードの直径は3.2メートル、中の赤い円は直径1.6メートル。写真は日本レコード協会の会長を務めていた当時のものです。
生花祭壇のデザインについては、富士山の裾野に広がる四季をイメージ。1970年代よりレコードビジネスマンとして第一線で活躍されてきた「石坂さんのイメージがまさにLP盤だった」ため、中央にレコードを飾ったそうです。
生花祭壇に使用された花は、バラ、ラナンキュラス、アルストロメリア、スイートピー、カーネーション、チューリップ、ナノハナ、ダリア、トルコキキョウ、ハイブリッドチース(キノラパン)、スプレーマム。合計で約6,000本のお花を使用しています。
また、祭壇に向かってレコードの左側には2009年秋に受章した藍綬褒章(らんじゅほうしょう)、右側には2015年秋に受賞した旭日中綬賞(きょくじつちゅうじゅしょう)も飾られました。
長渕剛さん『12色のクレパス』にのせて弔辞を奉読
続いて、作詞家・音楽評論家の湯川 れい子さん、音楽評論家の富澤一誠さん、そして親交の深かったアーティスト、長渕剛さんが弔辞を奉読しました。
湯川さんは、夜中の2時、3時に電話をかけてきては音楽について熱く語る石坂さんを「いい迷惑だけどかわいかった」と振り返りました。石坂さんの新婚旅行のエピソードなど思い出を語り、「魂の弟のような人でした」と結びました。
富沢さんは、石坂さんと語り、飲み明かした思い出の中で、石坂さんに信長と秀吉と家康の3人の中から誰が一番好きか?といった質問をした時のエピソードを紹介しました。
また、長渕さんは若いころ、曲を作っては石坂さんのところを訪ねて行った当時の思い出や、その後レコード会社を移籍した時のことを語り、『12色のクレパス』を熱唱し感謝を捧げました。
『12色のクレパス』を選曲したのは、歌詞の内容が、石坂さんのイメージにピッタリだったからだそうです。
お別れの会に訪れた方々
会場には2,300人もの参席者が集まり、献花でお別れをしました。
(小林憲行)