2016年12月4日、心不全のため亡くなった巨人軍の打撃コーチ、荒川博さんの葬儀・告別式が12月11日、東京都中野区の明王山宝仙寺で執り行われ、球界関係者はじめ大勢の人々が最後のお別れに集まりました。
喪主は妻の荒川和子さん、葬儀委員長は福岡ソフトバンクホークス取締役会長王貞治さん。施行は株式会社JA東京中央セレモニーセンターが行っています。
>>株式会社JA東京中央セレモニーセンター 社長インタビュー
祭壇には背番号73のユニフォーム
菊をメインに飾られた生花祭壇。
中央には柔和な微笑を浮かべる荒川博さんの遺影が、向かって右手には背番号73の巨人軍のユニフォームとバットが飾られています。
また、想い出コーナーには数々の写真や色紙で、故人の人生の軌跡が表されていました。
「荒川さんと出会えたからこそ、今の自分がある」
早稲田大学野球部の後輩で衆議院議員の亀岡偉民さん、そして元プロ野球選手の黒江透修さんが弔辞を捧げました。
黒江さんは門下生代表として、「教えるだけでなく自分(荒川さん自身)も修行を続けていた」と、故人がいかに真摯な姿勢で「指導」に取り組んできたか、その想い出を語りました。
また、葬儀委員長を務めた王貞治さんは、挨拶に立ち、「荒川さんと出会えたからこそ、今の自分がある」と、故人への感謝を伝えました。
福岡ソフトバンクホークス取締役会長 王貞治さんの挨拶
一言ご挨拶させていただきます。 本日は故荒川博様のご葬儀、告別式にご参列をいただきまして誠にありがとうございます。 多くの皆様に見送っていただき、荒川さんはこの遺影のように、大変、素晴らしい笑顔で喜ばれていることと、そのように思います。 遺族になり代わりまして、心より御礼を申し上げます。 先週の日曜日、昼食におそばを食べた後、急に胸の痛みを訴え、救急車で病院に運ばれ、医師の手当てを受けました。しかし、残念ながら帰らぬ人となってしまいました。 多くの皆さんが立ち合い、もう一度手を取り合ってということで、気持ちを込めたんですが、残念ながら、その思いはかないませんでした。 荒川さんはたいへん強烈な個性の持ち主でした。 大変な自信家でもありました。 その人間的な魅力が、多くの人とのご縁をつなげてきたんではないかと、そのように思っています。 ご縁というのは幅の広さよりも深さのほうが、大切なのではないかと、そのように思っています。 荒川さんは、野球の、特に打撃の奥義をつかむべく、共に練習に励み、荒川さんも研究をしてまいりました。 我々は、荒川さんと出会えたからこそ、今の自分があると、そのように考えております。 皆様にこういうご縁をもって荒川さんを支えていただいたことに本当に、何と御礼を申し上げていいかわかりませんが、荒川さんは旅立たれてしまいましたが、奥さん、まだまだご健在です。また親族の皆さんも元気でございます。 深い絆で結ばれた皆さんと共に、荒川さんとのご縁を継続して、奥様をはじめ、多くの皆様にご厚誼をつなげていただきますように、心から御礼申し上げまして、私の御礼の言葉とさせていただきます。 どうも、本日はありがとうございました。
出棺は宮型霊柩車で
焼香、初七日法要の後、お別れの儀を行い、出棺。堀ノ内斎場へ向かいました。
今回、故人を乗せた霊柩車は、宮型の霊柩車です。
かつては霊柩車と言えば、お宮が乗っているこのタイプのものが主流でした。しかし、火葬場の近隣住民への配慮や維持費の問題などさまざまな理由から、洋型の霊柩車にその座を奪われ、最近ではあまり目にする機会も少なくなりました。
荒川さんの出棺の際には、久々に見る宮型霊柩車を前にして、参列者の中からもその威風堂々とした姿に、感嘆の声が上がっていました。
(小林憲行)