2016年11月1日、肺炎のため逝去された将棋棋士、日本将棋連盟元会長、二上達也九段のお別れ会が12月19日、東京・千代田区のホテルニューオータニ「芙蓉の間」にて開かれました。
会場中央には、百合や菊、胡蝶蘭をベースにした真っ白な祭壇が飾られ、訪れた人々は白いカーネーションを献花して、故人との別れを惜しみました。
会場中央を飾る真っ白な祭壇
伝統と格式を感じさせる「芙蓉の間」を飾ったのは、百合や菊、胡蝶蘭で飾られた真っ白な生花祭壇です。
遺影は生前、将棋をさしている姿をモノクロで表現。引退後のお写真とのことですが、凛とした姿が故人の人柄を表しています。
弟子にしていただけたことは大きな幸運であり、かけがえのない経験
故人を偲び、その冥福を祈るため黙祷を捧げた後、日本将棋連盟谷川浩司会長、故人の出身地である北海道函館市中林重雄副市長、そして二上達也九段一門を代表して羽生善治三冠が追悼の挨拶に立ちました。
谷川会長は故人の軌跡を紹介。数々の業績の中でも、「入門から八段まで6年という記録」は、いまだに破られていないそうです。
羽生三冠は、「棋士として、弟子としていつも大きな安心感に包まれた、大きな存在でありました」と述べました。
またプライベートではカラオケが好きだったものの、弟子たちの前では遠慮して歌わなかったという二上九段と初めて一緒にカラオケに行った時、「やっと認めてもらえたような感じがして、とても嬉しかった記憶があります」と思い出を語り、「先生とご縁をいただき、弟子にしていただけたことは大きな幸運であり、かけがえのない経験でした」と結びました。
羽生善治三冠の言葉
追悼の言葉 先生の所へ入門のお願いに伺ったのは今から35年前の秋でした。 とても緊張しましたが物静かで威厳のある姿がとても印象的でした。 帰り際に、先生の詰将棋作品集『将棋魔法陣』をいただきましたが、詰将棋の名手としても知られていた作品はとても難解で、一題解くのにもとても苦労した記憶があると同時に、八十一のマス目すべてに玉形を置く、遊び心と独創性の大切さを教えていただきました。 そしてそのころに先生は、棋聖戦で中原先生、加藤先生、米長先生の当代一流の騎士たちを打ち破り、棋士としての全盛期を迎えていた時期でした。 切れ味鋭い棋風での対局では多くのファンを魅了していたと思います。 私が小学生名人になって、そのことを報告した時は、アマチュアの大会の実績は関係がないから気を緩めないように、プロの世界の厳しさを教えていただきました。 先生には将棋会はじめとして多くの後援者、応援者がいました。 将棋を指し、酒席を共にし、語り合う深い交流は、師匠の人格を感じる数多くの場面がありました。 また将棋連盟の会長として、長きにわたっての活動は多忙を極め、難題も数多くありましたが初めての国際将棋フォーラムの開催をはじめとして未来の普及の道筋を示していただきました。その姿は棋士として、弟子としていつも大きな安心感に包まれた、大きな存在でありました。 先生はプライベートではカラオケで歌を歌われるのがとても好きでした。しかし弟子たちの前では遠慮されていたようで、引退をされてからかなりたってから初めて行きました。その時にやっと認めてもらえたような感じがしてとても嬉しかった記憶があります。 将棋界では盤のマス目と同じ、81歳を盤寿としてお祝いする慣習があります、体調がすぐれずその機会を作れなかったことが今でも大きな心残りです。 先生とご縁をいただき、弟子にしていただけたことは大きな幸運であり、かけがえのない経験でした。 これを大切に前進していきたいと思います。 ここに謹んで哀悼の意を捧げます。 どうもありがとうございます。
二上九段愛用の将棋盤も展示
会場入り口付近には、二上達也九段が生前、愛用の品々が並びます。
将棋盤や紫綬褒章、扇子など、故人の業績を偲ぶものだけでなく、詰将棋の大家でもある故人が考案した問題と、その回答を書いた直筆の原稿も飾られました。
また、会場には二上達也九段の業績を示す数々の写真も展示されました。
(小林憲行)