最期くらい笑ってお別れしたかったんだけど、涙こらえるの我慢してたんだけど、茶毘の時に涙出てしまいました

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今は亡き母へ

母ちゃんへ

風薫る五月の昼下がり、私は生まれたと聞きました。私は二男なのに、母ちゃんは初めての子のように喜んだと聞きました。

丸山家はあまり裕福な方ではなく、友達のオモチャや自転車を見ては羨ましがっていました。そんな私を見て少し困った顔で「ごめんね」と繰り返す母ちゃんの横で何度も泣いたのを覚えています。母ちゃんは私の全てを許し、全てを信じ、全てを包み込んでくれたのに、私はそれに氣遣ず、思いのままに過ごしてしまっていましたね。

中学になったくらいから、『かっこいい男』、『強い男』に憧れ、意味をはき違えてケンカや悪さばかりを繰り返し、勝手氣ままに遊びまわる本当にロクでもない男に成長した私。毎日のように真夜中に忍び足で家に帰ったとしても食卓には茶碗が並べられていました。深い愛情を感じていたはずなのに、反抗期だった私は言ってはいけないような言葉を加減もせずに投げつけては母ちゃんの心を踏みにじったのに、それでも変わることなく木漏れ日のようなぬくもりで、深い海のような優しさで私を包み込んでくれましたね。

母ちゃんが天国へ行った日の朝、父ちゃんと兄ちゃんと川崎大師に行って母ちゃんが少しでも楽になるように皆でお参りして、帰ってくる道中に病院から電話。「早く来てください。」最後は手を握りながら見送れたので良かった。

私の友達にも兄ちゃんの友達にも地元の皆にも愛された母ちゃん。お通夜には七百人以上の人が参列に来て戴きました。後々がスゲー大変だったって父ちゃんが嘆いてました。丸山らしく最期くらい笑ってお別れしたかったんだけど、涙こらえるの我慢してたんだけど、茶毘の時に涙出てしまいました。

影でこっそり父ちゃんも泣いてました。母ちゃん言ってたよね。「お父さんと出会って何年も経つけど、泣いてるところと嘔吐してるところは見たことがない」って。そんな父ちゃんが泣いてました。父ちゃんの貴重な一面見れなくて残念でしたね。

あれからもう八年経つのに、不思議と夢にも一回も出てこないけどさ、たまには出てきて成長した私を見てください。母ちゃんのもとに生まれ落ちたことはこんなにも幸せでした。こんな馬鹿な私だけど、いつか結
婚して、子どもを授かったら母ちゃんみたいに良く笑う宝石みたいな子に育てます。まだまだ面倒の掛かる息子だけど、上からのんびり見守ってて下さい。

嵩太

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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