千代おばあちゃんへ

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今は亡き祖母へ

千代おばあちゃん、お元気ですか。

四世代同居で、古い家に一緒に暮らしていましたね。おばあちゃんは、控えめでシャンとした、かっこいい明治の女でした。よく座っていた、玄関の小さな椅子を思い出すよ。

具合が悪く、北のじめっとした部屋に、ひとり寝たきりになっていたおばあちゃんに、ご飯を運ぶのが十歳の私の仕事でしたね。私はなにも分からなくて、とても不安だったんだよ。

千代おばあちゃんが亡くなる前の日、出掛ける予定のある刀

と ねこ禰子おばあちゃん(お嫁さん)に、「行かないで」って言ったね。刀禰子おばあちゃんは「そんな大袈裟な、すぐ帰ってくるから」と言ったね。

あれから刀禰子おばあちゃんは、「家にいてあげればよかった。あの人があんな風にいうこと、これまでに一度もなかったのに」と、何度も何度も泣いていたよ。私も、千代おばあちゃんが、刀禰子おばあちゃんの服の裾を?んだ心細そうな目が、声が、いまでも忘れられないよ。

千代おばあちゃん。

あれから二十年以上が過ぎて、刀禰子おばあちゃんも利男おじいちゃんも亡くなりました。

そして私は、嫁に行き、子どもを生み、嫁ぎ先のひいおじいちゃんとひいおばあちゃんを看取ったの。必死だったよ。

「亡くなる」って、先が読めないでしょう。

「介護」って終わりが見えないでしょう。

人の手が必要なのは子育てとおんなじなのに、向かう先が逆なことが、切なかったよ。

人が人として、生きてきた時間の重みを考えたよ。命の尊厳を思ったよ。

私ね、ちょっとずつ、ちょっとずつ、分かるようになったの。お世話させていただくうちに、分かるようになったの。

いまの私なら、おばあちゃんの手をさすれる。足湯も気持ちがいいよね。お顔も拭かせていただく。食べやすいお料理だって、できるよ。

嫁ぎ先で看取らせていただけたのは、千代おばあちゃんのお陰。

あの日のことが、いつも心にあったの。何も出来なかった私のことが。

後悔しないように、出来ることをやろうと、思えたんだよ。

ありがとう。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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