清貧に生きたる父へ

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今は亡き父へ

今年の冬、秩父は未曾有の豪雪に見舞われた。

連日、雪掻きに明け暮れたが、その間私は、ずっと亡くなった父のことを思い続けていた。

父の亡くなった日も、葬儀の日も、前日からの雪が未明まで降り続き、大雪となった。葬儀の日には、地域の人々が、父の人柄を偲びつつ、総出で除雪をしてくださった。

 大雪の大寒の朝父逝きぬ不肖の我の試練始まる

父は寺の住職だった。その傍ら、民生委員・教育委員等の役職に就き、地域のために貢献してきた。

そんな父の存在が大きかっただけに、後を継いで住職となっても、至らぬことばかりで、さらに、三人の子供が成人するまでの十年間、中学校教師との二足の草鞋を履く身となり、大変な日々が続いた。

その後、地球の温暖化が進み、大雪が降ることは少なくなったが、冬になると、山の中腹にある父の墓からは、正面には雪を被った武甲山が聳え、遠く、雪の秩父連山を一望出来た。

叱られし記憶無き父雪嶺に対峙する墓何を語るや

父は決して無口ではなかった。むしろ話し好きだった。しかし、私には多くは語らず、叱られた記憶も無かった。人並みに反抗期もあった私だったが、大きく脱線しなかったのは、父の生き方を見て育ったからかもしれない。

父の一生を表現するなら「清貧」の一語に尽きるような気がする。 

国中が貧しかった戦中戦後は勿論、バブルの時代になっても、その姿勢は変わる事はなく、慎ましく、慎ましくという生活だった。

「私のような者が寺の住職として一家を養ってこられたのは、多くの皆さんのお陰、そして何よりも、お釈迦様のお陰だ」

それが父の口癖だった。

 清貧に生きたる父の歳を生き日々思い知るその難きこと

父が亡くなってから三十年、私も父の亡くなった歳となり、父のもとに旅立つ日も近い。父の一生には遠く及ばないけれど、あの世で父と会った時に、恥ずかしくない生き方をしてきたつもりだ。

父よ、まだ足りないところがあったら、夢の中で良いから、私を叱って欲しい。

その言葉をもとに、これからも、残された人生の中で、精一杯精進しようと思う。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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