もう一度、会いたい

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今は亡き子どもたちへ

お前を交通事故で亡くしてから、母さんはしばらく気がふれたようになってしまった。

あの早起きな母さんが、昼近くになっても起きてこない。やっと起きても、ぐったりしていて台所の仕事を少しもしてくれない。

私だって、一瞬にして一人娘を奪われたのだ。父親として納得できるはずがない。何万回も「なぜだ?」と問い続けた。事故相手は飲酒運転だった。刑事裁判は私たちと無関係に行われ、知らぬ間に判決が出た。

聡美よ、お前は気立てのよい頑張り屋だった。世話好きで親孝行で、いつも笑顔。見合いで結婚したものの、子供はできなかった。産科に何度も通ったのに、不妊症はついに治らなかった。だから私たちは、お前がいなくなった途端に二人ぼっちになってしまった。最愛の一人娘がふいに視界から消え、後には思い出だけが陽炎のように燃えている。

無口になった母さんと私の間を、時だけが虚しく流れた。あれから七年になる。お前の夫だった彼も、とっくに再婚した。

母さんは娘の成長を記録したアルバムを広げては、つのる思いを語りかけてくる。私が明るく受け応えしていると、母さんの最後の台詞は決まっている。

「聡美に何の罪があると言うの!」

図書館司書だったお前にはたくさんの夢があった。海外留学を計画し、油絵の個展を準備し、何にでも意欲的だった。もっと生きてほしかった。自分の夢を遂げてもらいたかった。それをさせてやれなかったことで、親として苦い罪悪感に苛まれる。

私の定年退職を機に夫婦で旅行をしても、楽しい思いをするたびに、辛い目をして「聡美もここにいたら、もっと楽しいのに」とつぶやく母さん。お前抜きで幸せになることが、なぜか申し訳なく思えてしまう私たちなのだよ。

お前のその声で、もう一度だけ「お父さん」と呼んでほしい。

頼むよ、なあ、聡美。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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