お父さん、お母さんへ

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今は亡き父へ

父が旅立ってから一年三ヵ月になります。

私はあの日から色々考えました。父がどんなに苦しく寂しかったことか……。

父は自分の人生に自分で終止符を打ちました。母が病気で亡くなった三年七ヵ月後の事でした。

母が亡くなった時、病いに断ち切られた母の人生を思うと本当に悲しかった。なのに父は自分の人生を自分で断ち切りました。母のそばに行きたくて。

母の最期は幸せだったと思います。毎日書いていた日記の最終日。乱れた字で「お父さん」と書かれてありました。その文字を父が見た瞬間、母は亡くなりました。父と母はどちらが後に残っても寂しさに耐えられなかったことでしょう。

私達の家庭は裕福ではありませんでした。しかし、母はどんな時も父を愛し支えて来ました。

父もそんな母がいてくれたからこそ、どんなに苦しい時でも頑張ってこられたのでしょう。

しかし、わずかな年金から借金を返済する苦しい生活の中、一人では乗り越えられずに、父は、力尽きたのです。

その予兆があったのに私は本気で取り合っていませんでした。

父は、母のお墓参りの帰り際、「またすぐ来っけんの……」と言ったそうです。

一緒にいたおば達は、またお墓参りに来るという意味だと思っていたのですが、本当は自分もお墓に入るということだったのでしょう。

幼い頃から苦労ばかりだった父の人生。そんな父を助けられなかった自分がどうしようもなく嫌で、腹が立ち、苦しんでいた私を救ってくれたのは、おばさん達でした。

おばさん達は、父と母が恋人同士の頃や新婚の頃の話をしてくれました。私が知らないだけで、二人には素敵な青春時代がありました。

確かに私が子どもの頃も裕福ではなかったけれど、笑いあり、涙あり、愛情一杯ありで、私は、父と母が大好きでした。

父をこのような形で亡くし、今この手紙を書きながらも涙が止まりません。しかし、何とか乗り越えられたのは、父と母がそのように強く育ててくれたお陰だと思います。本当にありがとう。

母が亡くなる少し前のこと。病室を出て行く私達に聞こえないように、母は父に「チューばしたか……」とキスをねだったそうです。

そんな二人が今、三年七ヵ月振りに再会出来たのならまだ、六十代に入ったばかりで病に倒れたとしても、自分で命を絶ったとしても、決して不幸ではないでしょう。

お父さん、お母さん、幸せですか?

私は生まれ変わってもまたあなた達二人の子供に生まれたい……。心からそう思います。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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