今は亡き父へ
お父さんが亡くなってから四年が経ちました。
僕はもう、来年六〇歳になります。
あのときは、ひとりで旅立たせてごめんなさい。
ほんとうは、八〇代半ばのあなたを独り暮らしさせるというのが、そもそも間違っていました。
先にお母さんが亡くなったとき、あなたは、
「何、ひとりで大丈夫や。この家かて守らなあかんし-」
と言って、いっしょに暮すことを拒みました。
僕たちも歩いて十五分ほどのところに住んでいることもあって、お父さんの気持ちを最優先に考えてそうしたのです。それからしばらくの間、あなたの悠々自適の日々が続きましたね。
城周辺を散歩したり、好きな本を読んだり……。
食事は自炊をしたり、外食だったり、時には僕の家でにぎやかに食べたりしました。
ところがある日、僕の家で夕食をとり団らんの一時を過ごし帰路についたあなたは、十分ほどして戻ってきました。
「帰る道がわからんのじゃ」
後に、掛かりつけの病院で診断された「認知症」の最初の兆候でした。
やがて、お父さんは要介護認定を受けて、週三回、その病院が併設する老人福祉施設のデイサービスを利用するようになりました。
そこへ行かない日は、僕か家族のだれかがあなたの食事を運び、あなたに食べさせるようになりました。
その日も、いつものようにあなたの夕食を持って訪ねると、あなたは冷たくなっていたのです。僕は両親、どちらの死に目にも会えなかった親不孝者です。
でも、僕を愛情をもって育ててくれた二人に、せめて何か感謝の気持ちを表したいのです。
僕は考えました。
せっかくあなたたちから健康な体をいただいたんだから、快活な日々を送り、お父さんの享年を越えることが供養になるのではないかと…
お父さん、お母さん、それに僕の三人共通の嗜好は「コーヒー」です。
あと三〇年近く精一杯生きて、そちらへ往ったら、僕がおいしいコーヒーをたててあげるね。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。