【ご遺族インタビュー】誰かに話すということ、聞いてくれる人がいるということが大切

いい葬儀【記事監修】
いい葬儀

記事監修いい葬儀

ハワイ灯籠流し

ハワイ在住の日本人女性、Hさん。2015年に当時40代のアメリカ人のご主人が心臓発作で他界されました。突然の別れに始まるハワイでのグリーフワーク(死別による悲嘆の感情を受け入れ、乗り越えようとする心の努力)の経験についてお聞きしました。

夫との突然の別れと、アメリカ本土での葬儀

−ご主人とは突然のお別れだったそうですが、経緯を詳しくお聞きしてもよろしいですか?

体調不良などの予兆がない、まったくの突然死でした。夫は自分で会社を経営しており、倒れた時は住んでいるコンドミニアムの別フロアーで仕事をしていました。私はちょうど在宅中で、駆けつけた時には救急隊員が処置をしている最中でした。

彼は病院へ救急搬送され、私は別途病院へ向かうことになり、「自分で車を運転して行ってはいけない」という友人のアドバイスに従い、友人が車で迎えに来てくれるのを待っていました。そこへ病院から電話があり、「友達の車を待たずにすぐにタクシーで来てくれ」とのこと。状況を聞くと「言えません」と言われたのですが、その言葉に、彼は亡くなったのだと直感しました。

病院へ着くと若い男性のナースが「ドクターが来るから」と迎えてくれました。「ダメだったんだよね?」と尋ねると、「ごめんね」と返されました。やってきた医師にも、「ごめんね」と告げられ、続けて「でも、彼は苦しまなかったから、それだけは大丈夫」と伝えられました。

その後、職場の上司と友人が病院に駆けつけてくれたことを覚えています。

病院で1、2時間ほど遺体に対面しました。それから死因を調べるために夫は警察に搬送され、私だけが自宅へ帰りました。数日間、警察に安置されて土日を挟んだ月曜に死因が特定されたとの連絡があったと記憶しています。

9月25日に亡くなり、葬儀は10月17日にアメリカ本土の彼の故郷にある教会で行ないました。

ハワイでは火葬が可能で、今は火葬を行なう人も増えていますが、本土はクリスチャンが多いので、まだハワイほど火葬は多くはないと思います。彼の兄に連絡すると、生前に彼から「自分に何かがあったときは、妻を尊重してほしい。妻を助けてほしい。兄に何かがあったら、僕が兄貴の嫁さんを助けるから」「もし妻が、僕を火葬にしたいと言ったら、僕はクリスチャンだが妻の意思を尊重してほしい」と伝えられているから、私のしたいように葬儀をして良いと伝えられました。

しかし、私の実母から「突然亡くなったのだから、彼のご家族には、ご遺体に会わせてあげないといけない。火葬したら会えなくなってしまうから」と助言され、また、2012年に亡くなった彼と仲が良かったお兄さんの隣の墓地に埋葬できるとのことだったので、本土での葬儀と埋葬を決めました。

−ご葬儀はどのような段取りで行ったのでしょう?

私の家族は日本にいますし、彼の家族はアメリカ本土にいます。私は人に頼るタイプではないのですが、必要なやりとりは彼の兄がやってくれました。日本語のサイトがあるハワイの葬儀社のリストを作ってくれたので、その中から名前を知っている葬儀社を見つけ、依頼しました。

葬儀社が本土への遺体搬送のフライトの手続きや、教会側の遺体受け取りの手続きもしてくれました。10月に入ってフライトの予定も決め、フライトする日には「今日、飛び立ちます」との知らせをもらったことも覚えています。

フライトのためにエンバーミングの処置も行ないました。葬儀の前に教会に併設されている安置施設に安置しましたが、 ヴューイング(viewing) といって、故人に対面できる時間があります。私たちは葬儀の2日前から対面できました。私は義兄に連れて行ってもらい、個室でエンバーミング後の彼に対面しました。

病院で対面したときは、眠っているような自然な顔をしていましたが、エンバーミングを施すとむくんでいるというか、中に何かが入っているような不自然な印象を受けました。日本で行なう死化粧とは異なるものという印象です。

教会での葬儀は、棺に納められた遺体が祭壇の前に安置され、入口から入ってきた参列者が中央の通路を通って棺の前でお別れをしてから席に着き、それから葬儀が始まりました。

−ご葬儀の前後に、印象的だったことはどのようなことでしたか?

自宅で一人過ごしている時は、彼が帰ってこないという事実から、亡くなったと実感することはありましたが、訳がわからず、自分に起こっていることを受け入れられない、言葉が出てこないという状態だったと思います。病院で対面したときは、来てくれた人たちに対して、「彼はね、仕事で疲れちゃったから寝かせてあげているの」と、自分でも何を言っているのか分からないことを、ずっと話し続けていたようです。

葬儀を決めるまでの間に、臓器提供の意思確認の電話がきたこともありました。その時は断りましたが、後で考えると角膜などの臓器提供をするという選択肢もあったなと思います。

彼とは、常に人生観を語り合ったりしていました。彼は常々、病気になって病院で闘病した末に死ぬのは嫌だと言っていました。また、自分が死んだら「火葬して君の実家のお墓に入りたい」とも言っていました。最終的にはアメリカ本土の彼の故郷に埋葬しましたが、火葬すべきかどうか悩みました。彼は自分のお兄さんとも死生観について話をしていて、義兄も私が土葬ではなく火葬を選ぶのではないかと思っていたようです。

でも、後で考えたことですが、葬儀は残された人のためのお別れの仕方ですから、故人の希望はあるけれども、本土の教会でのお葬式、お兄さん達とお別れさせてあげたことは、確実にやって良かったと思います。ちゃんとお別れをすることで、私は妻としての義務を果たせましたし、彼自身もお葬式をしたことは、人生のけじめができたと感じて喜んでいるのではないでしょうか。

お葬式は絶対、したほうがいいと思います。形式はともあれ。亡くなった日ではなく、お別れをしたい人に来てもらう時が、本当のお別れの日になると思います。

悔やまれることがあったとすれば、私はずっと下を向いて泣いていたので、もっと気丈にしていれば良かったということです。彼は私に、一人で何でもできる強い女性であることを望んでいましたから。

日頃から死生観を語っていた夫

−彼はご自身の死生観を持ち、Hさんやお義兄さんにも積極的に伝えていらしたのですね。Hさんが考える彼の死生観について、詳しくお聞かせください。

死生観は身近な話題でした。彼は、自分のお母さんと、仲の良かったお兄さん、お父さんとの死別を経験していて、死を意識する機会は多かったのでしょう。特に義母の死は、彼の心の中ではずっとひっかかっていた経験のようでした。私にはそうした経験がなかったので、彼が「父と母のことが浮かぶ」「寂しい」と言っても、「そうだよね」と答えるしかできず、妻にも言えない虚無感を抱えて過ごしていたのではないかと思います。彼は泣いたこともなかったのですが、アメリカではサンクスギビングやクリスマスは家族と共に過ごす祝日ですから、その時期は物思いにふけっていることもありました。

また、義父の葬儀から帰ってきた時には、「俺たち家族は、子供もちゃんと正装をしてミサへ通っていたクリスチャンだった。みんなは俺に、『神様への祈りを忘れなければ大丈夫』って言うんだけど、神様が大切な人を連れて行っちゃったんだよ。それでもみんな、祈れって言うんだよね」と言い、返す言葉がなかったこともあります。

亡くなる1ヵ月ほど前にも、たまたまテレビで放送していた映画を見ていました。その映画は、タイムマシンに乗ってある女性を死から救おうとするのですが、いつも失敗してしまうという内容でした。亡くなった後にその時を思い出して、人の死は決まっていて避けて通れないのかという死生観を私が持つようになりました。

彼は兄弟が多いので、亡くなった義兄のほかにも、兄や姉達がいました。それぞれの兄弟との距離感はまちまちです。自分の死後の親戚付き合いについても私の意思を尊重すると義兄には伝えていました。

さまざまな人の手を借りてのグリーフワーク

−ご葬儀の後のグリーフワークはどのようでしたか?

病院で亡くなってから、葬儀までの間、ネットで死に関することをはじめ、さまざまなことを検索して心のやり場を求めていたのですが、その時、日本人がハワイでグリーフケアを行なっていることを知りました。それが、 NPOグリーフケアとの出会いです。電話をしてみると、代表者の方が「会って話をしましょう」と。会員になるつもりはないと告げると、「それは後でいいから、会いましょう」と言うので待ち合わせて、ビーチに車で連れて行ってくれ、そこで4時間ほど私の話をただただ聞いてくれました。

また、同じ時期に同僚も姉を亡くしたので、彼女とも慰め合っていました。

亡くなる前日の出来事などが繰り返しフィードバックしてくるのですが、そうした記憶を辿り、何かあるたびに「こういうときはこう言ってくれるだろう」「泣いていると絶対、彼は嫌がるから」と思うことでやり過ごしてきました。

「病院で苦しんで死にたくない」という彼の希望は聞いていたので、急に人生が絶たれる突然死はかわいそうで私もきついけれど、それで良かったんだろうなと、自分でも納得がいった面もあります。

彼は「仕事はお金だけではない、世間とつながっていくために、外のコミュニティに属していてほしい」と言っていたので、私にも仕事を通じてコミュニティとつながる意思があったことも良かったと思います。

−その頃のことで、印象的だったグリーフケアやグリーフサポートはありましたか?

死亡後の手続きだけで接する人たちが、積極的にグリーフサポートをしてくれたことは印象的でした。保険の解約をした際には、手続きとは関係なく、彼ですら顔も知らない担当者の女性がわざわざ電話で、こんな風に言ってくれました。

「これは個人的にかけた電話よ。あなたはなぜ自分だけこんなことが起こるんだろうと思うかもしれないし、家族連れの姿を見て辛い思いをするかもしれないけれど、みんな言わないだけで、体験していることよ。なぜなら、私もテキサスへ行って、息子のビジネスを閉じてきたばかりなの。息子が亡くなったから。その前には姉も亡くしている。でも私は、仕事中は普通に対応していたでしょ? だから、自分だけと思わなくていいのよ。これからいろいろな書類が全部英語で届くと思うけれど、うちの会社の書類じゃなくても一緒に見てあげるから連絡してちょうだい」。

車の名義変更などをするときも、事務的な態度で処理していた窓口の女性が、死亡届を見てわざわざカウンターから出てきて、「ハグさせて」と言ってくれました。駐車場の大家さんも解約の連絡をしたら、「彼は亡くなったの? 彼はいつもクロスのネックレスをしていたよね。大丈夫だよ、彼は神様に手を引かれて天国に行けたから」と。そういう一言が嬉しかったですね。

NPOグリーフケアではどのようなことをしましたか?

月に2回ほどカフェで集まって、近況報告をしたり、お茶を飲みながらみんなでお話をします。それ以外にも、ハイキングや新年会など色々なイベントが企画されています。

−2017年と2018年はハワイの灯籠流しにも参加されたそうですね?

ハワイでは毎年5月に、日本の仏教寺院の主催で、戦没者慰霊の灯籠流しを行ないます。今では戦没者に限らず、死別を経験した人たちが参加しています。朝から組み立て式の灯籠が配られるので、灯篭にメッセージを書いて、夕方からビーチに流します。灯籠を受け取ってから流すまでの時間は、思い思いにビーチで過ごすイベントのようになっていて、ハワイのテレビ局でも毎年放映されますし、すごい人数が集まりますし、世界のどこかで災害などがあると、参加者が増えるそうです。

私は、婚約者を亡くした友人と参加しました。夫宛以外にも、亡くなった方への感謝の気持ちを伝えるメッセージを書きました。

これだけの数の人が集まってくるのをその場で見た時、人が亡くなるのは自然なことだと思いましたし、その場にいる人たちがみんな優しくて、その優しさにも心打たれました。

次の段階のグリーフワークへ

−NPO以外にもグリーフケアは受けましたか?

とにかく同じ死別者のブログを読んだり、とにかく死に関する本を読み漁り自分なりに死を受け入れていきました。アメリカでは結構、死別、死、亡くなった人の魂などに関する本は日本よりも多く見つけることができました。

すでに私は、彼の死を理解し、納得して受け入れた段階なので、これからは純粋に会いたい気持ちをもちながら、自分がどうやって生きていくかを問いかける段階に入ったのだと思います。

‐ご自身が受けられたグリーフケアやグリーフサポートのこと、グリーフワークの各段階の心境の変化など、貴重なお話をありがとうございました。

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