【ご遺族インタビュー】退院して戻ってくると思っていた母が、突然の死…。そのとき、葬儀の相談、死後の手続きはちゃんとやった方が良いと実感しました

いい葬儀【記事監修】
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東京都にお住まいの鈴木さん(仮名)は、2018年の7月、91歳のお母さまを送りました。入院当日に逝去されたというお母さま、突然のことで、故人のお孫さんに当たる梅原さん(仮名:鈴木さんのお嬢様)は臨終に間に合わなかったそうです。

今回は鈴木さんと梅原さんのお二人に故人のお人柄や生き方についてお聞きするとともに、その人生からどのようなご葬儀を選んだのかについてお話しいただきました。

朝、手を振って入院、穏やかにその時を迎える

− 故人様は90歳を超えていらしたけれど、亡くなる前日まで、とてもお元気だったとか。

鈴木さん そうですね。亡くなるまでサービス付き高齢者住宅(以下、サ高住)に一人で住んでいました。とはいえ、私たち夫婦の住まいから信号のひとつ先にある建物でしたし、上の階に私たちも部屋を持っていたので、ほぼ一緒に住んでいたようなものですね。

足がむくんだり耳が遠くなったりと、年齢相当の身体の衰えはありましたし、ずっと要介護3以上ではありましたが、認知症はありませんでした。亡くなる前年の12月には車椅子で生活するようになってはいましたが、検査入院をしてもどこも悪いところはありませんでした。

10年前に大腿骨を骨折しましたが、その後1年半ほどリハビリを頑張って、正座できるまでに回復していたんです。「戦時中に比べれば」と、努力できることはなんでも頑張って、試練を克服しなければという意識をもって生きてきた人でしたね。

− 入院した当日に、様子が急変されたのでしょうか?

鈴木さん 入院の前日、痰が絡んでいると言われ、呼吸が苦しそうでした。当日の朝、訪問看護の方に来てもらって、「入院しましょうか」と言われたのが午前7時半のことです。救急車で搬送する手配をし、出発するときには、施設長に手を振って挨拶をするほど元気だったんです。ところが病院で検査中に私が入院手続きをしていると、血圧が下がってきて、私も病室に呼び戻されて。

急いで病室へ戻ると「なんだか弱ってきているから、手を握ってください」と言われ…。手を握りながら弟や娘に連絡などをしているうちに、医師に「ご臨終です」と。それが14時07分です。

誰も亡くなるとは思ってもいませんでした。手続きをしながら、退院後の相談までしていたほどだったんですよ。

梅原さん 私が職場で電話を受けたときには、背後から「今、来ても間に合わないかもしれない」という看護師さんの声がしました。慌てて主人や娘(故人にとってのひ孫さん)を学校まで迎えに行き、病院に駆けつけました。

鈴木さん 娘は間に合わないかもしれないと言われていましたが、11時までは意識もあったんですよ。日頃から苦しいところがあったわけでもないですし、当初は1~2ヵ月は入院するかもしれないと思っていましたが、入院当日に亡くなり、サ高住でもみんな驚いていました。

本人は、苦しむことも少なかったのでしょう、表情も穏やかでした。本当に幸せ。なかなかそういう人生はありませんよね。

− 故人様は気丈な方でいらしたようですね。

鈴木さん 母はすごく几帳面な人で、三姉妹の長女だったこと、父親が八幡製鐵の工場長、母親が小学校の教師だったことから、皆のお手本にならなければという自覚をもって振舞っていたようです。

戦前の理想的な子供というのでしょうか?サ高住でも、百人一首の札の読み手を率先してやるなど、級長タイプらしい人でした。今の人から見ると堅苦しい面もあったかもしれませんが、無駄な時間を過ごす人ではありませんでしたね。当時では珍しく実践女子の家政科を出たこともあり、家事も全部自分でやらなければ気が済まないような人でした。

父は江戸っ子の商人の家で十一人兄弟の下から2番目でしたので、甘やかされて育ったようです。友達の多い、気さくな人でした。

子供は私と弟の二人で、当時はまだ珍しい核家族。家族で椿山荘や横浜の中華街へ行き食事をするなど、いろいろなところへ連れて行ってもらった思い出があります。

生花祭壇のデザインをパンフレットで疑似体験して決定

− ご葬儀のお話はいつごろ始められたのでしょうか?

鈴木さん 14時に亡くなって、霊安室へ移されましたが、午後の4時に出てくださいというんです。でもまだ小学生の子供を連れた娘だけしかおらず揃っていないから、延長してもらって。結局、遺族が揃ったのは17時半頃でした。そうして初めて「葬儀をどうしようか」となったんですが、ゆっくりああだこうだと考えている暇はなかったですね。

梅原さん 参列者の人数はだいたい目処がついていたのは助かったんですけどね。

鈴木さん お友達で東京周辺にいる方は二、三人。大阪や九州のお友達に来てもらうことは最初から考えていませんでした。母の妹二人は高齢でしたのでその家族などと、いとこと親戚だけでしたが、それでも会葬者は30人くらい。「家族葬のわりには多いですね」と言われましたが。

ただ、家族葬で…というだけで特にこだわりはありませんでしたし、葬儀社にお任せしようとは思っていました。母も多少の葬儀代を蓄えていましたから、多くを負担するわけではありませんでしたし。

梅原さん そういえば、白木祭壇だと思っていたのが、今は花祭壇が主流だと知って、驚いてたよね?

鈴木さん そうねぇ。でも、女性だし母自身の親戚も多くは亡くなっていて、家族葬的なコンパクトなお葬式になるから、お花をたくさん使ってしめやかにお別れするのがいいわね、ていう結論になるのは早かったかしらね。

梅原さん 結局、喪主となる叔父(故人の息子)とも意見が合ったので、そうしましょうとなったんです。

− 葬儀社はどのように決めたのでしょうか?

梅原さん 私が「いい葬儀」に電話して、3社を紹介してもらいました。それで3社すべてに相談の電話をしたのですが、A社とB社は決めるまで搬送の手続きを待っていてくれたのですが、C社は電話と同時に搬送車が出てしまって断るとキャンセルになるといわれたので、搬送だけを頼みました。C社は、事務的にどんどん進めるところに不信感と心理的な抵抗感がありました。

鈴木さん A、Bの2社と目黒の喫茶店で打ち合わせをして、A社に決めました。対応、料金ともに大きな違いはなかったのですが、パンフレットを見て、祭壇のお花の雰囲気に手作り感とバリエーションがあって好感を持ったので。

お花に力を入れたくて、母は青や紫が好きだったのですが、そういう色を中心にした写真もあったので、雰囲気の良さがパンフレットから伝わってきた方に決めました。

梅原さん B社も電話対応では寄り添ってくれて感じがよかったんですけどね。

鈴木さん そういえば、病院の霊安室で営業がありましたね。よかったらここに電話をしてみてくださいとリストをもらいました。

梅原さん お寺さんに連絡したときも、葬儀社が決まっていないというと、そのお寺さんに関係ある葬儀社を勧められて。いろんなところで、ずいぶん熱心に営業しているんだなぁと思いました。

葬儀の準備を儀式として一緒にしてくれたことがよかった

− A社との打ち合わせや施行の中で、印象的だったことをお聞かせください。

鈴木さん 家族だけなので、ゆっくり時間を過ごしてほしいという“思い”がとても伝わってきました。

A社に決める前にメモリアルコーナーの説明を聞いたのですが、正直、話だけではよくわからなかったんです。でも、言われるがままに急いで写真をかき集めて葬儀前日に預けたら作ってくれていて。このコーナーがあって良かったです。

梅原さん ムービーも、写真でスライドショーを作ってくれて。祖母の妹たちも高齢だったので、この数年は年に2度ほどしか会えなかったんです。そんな彼女たちも足が悪い中、わざわざ葬儀に来てくれたので、写真を見て「ああそうだったね」と話してくれていて。このメモリアルコーナーは本当に良かったですね。

鈴木さん いろいろ提案して、上手に作ってくださって。

梅原さん A社に決定た後、フラワーコーディネーターと打ち合わせをしてから見積もりを出してもらいましたが、実はそのほかにももう1回打ち合わせがあったんです。2回の打ち合わせで故人の人柄を聞いてもらう時間があり、よく知ってもらえました。1日葬にしたんですが、前日の夜、お通夜のような納棺の儀をしてくれました。それも良かったです。

鈴木さん 妹一家から「明日の日中は参列できないので、前夜に弔問したい」という希望があり、それを聞いてお見送りの儀式としてやってくれたんです。融通もきかせてくださったし、準備を葬儀社で全部進めるのではなく…

梅原さん 儀式として一緒に考えてくれたのが良かったですね。納棺に至るまでも丁寧で、「こういうお化粧にしました」「お顔の綿が多かったので、自然な感じに詰めなおしました」と説明してくださったり、親戚全員に「お好きな飲み物でお湿りをしてあげてください」と促してくださったり。みんな、「そこまでやってくれるの!?」とびっくりしていました。

鈴木さん 人柄があたたかくて、あたりが柔らかい感じでした。

梅原さん 丁寧で、がっかりするようなことは一度もなかったですね。供花の位置を、大叔母たちのものを上位に来るように変えてほしいと言ったら、嫌な顔ひとつせず、すぐに対応してくれたり。

明細書を細かく出してくれたこともわかりやすくて良かったです。色分けもしてあって。

− 3社を比較してみていかがでしたか?

梅原さん 最初、3社も連絡がくるのは大変だと思ったんですが…。どう?比較してよかった?

鈴木さん 電話が掛かってきた順で決めたりしない方が良いことは間違いないですね。2社でも良いとは思いますが、比較は絶対に必要ですよね。昔はバリエーションがなかったから、どこに頼んでも同じでしたが、今は比較しないとわかりませんでしょう?

対応してくださった方の人柄は各社違いましたね。あたりが事務的な方と柔らかい方と。葬儀の規模によると思うんですよ。社葬や、取引先の方が来るような葬儀なら打ち合わせがカチカチ進んで上手くいく方が良いかもしれませんが、家族葬なら家族の意向が反映されるほうが絶対に良い。

手続きは面倒だけど、故人とのつながりを持つことでもある

− ご葬儀を終えてからのことはいかがだったでしょうか?

鈴木さん 母は、私や娘とは戸籍が違いますでしょう。知らなくて役所へ行ったら、「除籍はできますが、あれとこれはできません」なんて言われて、それからあちこち役所を回って…と、書類関係がけっこう大変でした。保険を止めたり、家の名義を変えたりと、細かいことが次から次へと。

亡くなったのが7月上旬で、すぐにお盆が来て、お彼岸くらいまでは書類関係の手続きがたくさんありましたね。

役所が終わればお寺さんとの打ち合わせがあったりして、昼間やらなきゃいけないことをやるために、やむを得ず出かける。なんだかんだ一年はそんな感じですね。何もしなくていいと言われるとずーっと座り込んじゃいますけど、引きこもっちゃダメよ、と昔の人は知っていたのではないでしょうか。

だから私は、手続きがいろいろあること自体、それはそれでいいと思うんです。お骨はどうする、供物はどうする、喪中のハガキもお友達に送ると何か送ってきたりするので、そのお返しはどうする…とかね。大変だけど、そういう話もしつつ、思い出話もして、面倒くさいけれど、そうやって故人とのつながりを持つことも大切なんじゃないかな、って。

毎日ではないけれど、週に一度は何かしらやることがありますよね。それが遺された者の仕事。昔だったら近くのお寺さんへ行って、ご住職とお話しするのでしょうけど、無縁にしちゃうとそういう仕事もなくなってしまいますし。

− 死後の手続きは、「やりたい」「やりたくない」ではなくて、「やった方が良い」と。

鈴木さん 遠方に住んでいて、新幹線に乗ってきてまで必ずしなきゃいけない…とまでは思わないですし、任せるのもひとつの方法だと思います。でも、そうした事情がないのであれば、それらの手続きは遺された子の義務だと思いす。人に任せてしまうと、縁が遠くなるじゃないですか。忙しくても、無理のない範囲でできるのであれば、近くにいるんですから。

梅原さん 父は法律の家系なので、書類を用意すれば、専門家に難しいことはお願いできるんです。

鈴木さん 法事は、弟の代理として母が主にやっていましたけれど、母が動けなくなってくると、折に触れてだいたい私がしていたので困ることもなく、苦でもなかったですね。父の葬儀の頃は、すごく形式的な葬儀でしたよね。費用はうちが出しましたが、叔父が全部決めちゃって。当時はコースが全部決まっていて、それで決める感じでした。

お寺さんと疎遠ということもなく、敷居なくやれましたので、これをご縁に少しずつ結びつきを強くしようかと思っています。

− ご葬儀のことだけでなく、葬儀社の決定のことから、事後手続きのことまで、丁寧にお話しくださってありがとうございました。

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