厳しい弾圧の中で人々がつないだ、隠し念仏・隠れ念仏とは?

兵藤 大介【記事監修】
小林憲行

記事監修兵藤 大介

隠し念仏とは、江戸時代の東北地方で、幕府に迎合した本願寺に不満を抱いた信徒が独自の信仰に走り、幕府と本願寺の両方から弾圧を受ける中、隠して守りぬいた信仰です。それに対し隠れ念仏とは、同じ江戸時代に九州で、浄土真宗の信徒が藩などの権力による弾圧から隠れて続けた信仰のことを指します。
この混同されやすいふたつの風習について、詳しく説明をしていきます。

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東北で生まれた隠し念仏

隠し念仏は、岩手県を中心として青森県から福島県の一部にまで広がりました。今でも岩手県の南部などで隠し念仏の風習が残っています。隠し念仏は、そもそもは伝統的な浄土真宗の信仰が起源ですが、江戸幕府と接近して世俗化した本山の本願寺を嫌い、直接的に親鸞の教えに従うという信仰です。

本願寺や幕府の弾圧から逃れるため、人目に付かない所で念仏などの信仰を続けたことから、隠し念仏と呼ばれるようになりました。信徒から見れば本願寺が堕落したことになりますが、本願寺側は寺を通さずに信仰を続けることを反逆・邪教であるとみなしました。幕府から見ても、本願寺を通して社会秩序を図る上での不安定要因になるため、双方から弾圧を受けることになったのです。

隠し念仏の信仰とは?

隠し念仏では、親鸞からの正当な教えを記したといわれる「法要章」などが聖典とされました。しかし一般信徒がそれを見ることはなく、善知識といわれる指導者が受け継いで伝え、信徒は儀式によって救済されるとされました。仏である阿弥陀仏ではなく、人である善知識に救済を求めることは、浄土真宗の教えに反するため、本願寺から厳しく批判される要因となったのです。
本願寺と幕府からの弾圧を避けるため信仰は秘密にする必要があり、見た目は一般的な宗派に属して葬祭もお寺で行いながら、それとは別に土蔵や洞窟など隠れた場所で集会することが活動の基本となりました。そのうち、本来の真宗の教えに、東北地方の土着的な信仰や真言密教の儀式などが重なり、独特の信仰スタイルへと変わっていきました。加えて神秘体験を重視するようにもなったため、浄土真宗からさらに異端・邪教といわれるようになったのです。

隠し念仏が受けた弾圧

封建制度を支える柱である檀家制度に属さず、隠れて信仰を守る集団は、幕府からも寺院からも敵視されました。仙台藩や盛岡藩では信徒に対する弾圧が行われ、それがさらに信仰を隠す結果となります。江戸時代が終わり20世紀に入っても、隠れて謀略を練っている、男女がいかがわしいことをしているなどの誤った情報が世間に報道され、警察の手入れを受けることもあったほどです。現在も一部では信徒が残るとされていますが、迫害を恐れて多くの人は口外しないというのが現状です。

隠し念仏が根付いた理由

東北地方は気候が厳しく凶作に見舞われることもしばしばで、協力しあうことが必要でした。そうした中での隠れながらの信仰は、より連帯感や仲間意識を高め、この仲間意識こそが東北で隠し念仏が根付いた一因といます。また、教えの中心となる善知識は、表向きの職業を持っていたため、信徒からお金を取ることもなく、華美で権威的な寺院もありません。このことも東北で暮らす人々を支える力となったのでしょう。

九州で生まれた隠れ念仏

東北の隠し念仏に対し、九州では隠れ念仏が生まれました。こちらは藩などに対する抵抗です。例えば薩摩藩では、信徒が藩より本願寺に優先的に税を納めようとしたため、藩が真宗を禁制にしました。そこで隠れて念仏を唱えるようになったのが、隠れ念仏です。本願寺から見れば、東北の隠し念仏は自身への反抗であり異端ですが、九州の隠れ念仏は、逆に守るべき信徒であったのです。

弾圧の経緯や内情

九州では人吉藩が弘治元年(1555年)、薩摩藩が慶長2年(1597)年に弾圧をはじめました。きっかけは浄土真宗である一向宗が、加賀の一向一揆や石山合戦で恐れられたことにあります。特に慶長4年(1599年)、日向国で起きた庄内の乱で首謀者の父が一向宗徒と伝えられたことが決定打となりました。信徒から大量のお布施が本願寺へ送られ、藩の財政を圧迫するのを恐れたという説もあります。

信徒に対しては仏像や仏具を撤収して焼却処分とし、薩摩藩では30kgの石をひざの上に重ねて骨を砕く拷問や、滝壷に投げ込み溺死させる刑罰が行われました。熊本県人吉市には、志納金を納めに京都の本願寺に向かう途中で捕らえられ打ち首になった人物の首塚が残っています。
明治になってからも、仏教寺院や教えを破壊する廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が行われましたが、西南戦争が終わる頃にようやく300年にわたる弾圧が終了しました。

弾圧をかいくぐった300年

隠れ念仏では、洞穴などを使って集会を開いたり、信仰を許されている近隣の藩の寺院に抜け参りをしたりなどして監視の目をかいくぐりました。

隠れ念仏が300年もの間存続したのは、講と呼ばれるネットワークの存在が大きかったようです。また隠れキリシタンがマリア観音などを使って信仰を偽装したように、中に親鸞や本尊の掛け軸を隠した「傘仏」や「まな板仏」、タンスの中に仏壇を作った「隠し仏壇」など多くの工作をして、弾圧から逃れてきました。

九州では東北以上に過酷な弾圧があった反面、庶民の生活はある程度の余裕があり、本願寺とも良好な関係を保っていたため、よりしたたかに信仰を守っていたといます。

まとめ

気候が厳しい東北、身分差別が激しかった九州、いずれも隠れた念仏が人々の心の支えになっていました。隠し念仏と隠れ念仏に違いはあっても、信仰心や人々の絆があったからこそ、どちらも長きにわたって途絶えることなく続いたのでしょう。
現代の葬儀においても神仏への祈りや支え合いの精神は欠かすことはできません。心あたたまる葬儀を行うために、相談やご質問がありましたら、いつでもお気軽にお問い合わせください。

兵藤 大介【記事監修】
兵藤 大介

記事監修兵藤 大介

大学卒業後、広告業界で20年にわたりキャリアを築く。スタートアップの広告代理店立ち上げに参画し、代表取締役を務めた経験も持つ。 2020年、これまでの経験と異なる領域へ挑戦する「キャリアの逆張り」として株式会社鎌倉新書に入社。相続関連の新規事業立ち上げを1年間担当した後、2年間葬祭事業部に従事。その後、事業横断型の営業推進組織の責任者として、広告商品の新規開発や終活領域のデジタル広告運用支援を2年間リードした。 2024年より現職。事業部長として2回目の就任。社内のデータ分析と全国の葬儀社との対話から得られるリアルな現場の声を掛け合わせ、業界が抱える課題の解決に挑んでいる。 主なメディア出演やコメント掲載として、フジテレビ「めざまし8」、テレビ東京「LIFE IS MONEY~世の中お金で見てみよう~」、日本経済新聞がある。

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