木野島光美の「女性のためのお葬式のマナー」


著名・有名人の葬儀参列者から学ぶこと~寅さんのお別れ会で聞いた弔辞~

今回からシリーズで著名人の心に残る「弔辞」についてご紹介致します。
「弔辞」とは故人を悼(イタ)む言葉。故人に捧げる弔いの言葉。

式典をサポートさせていただく立場から、これまで多くの著名な方々をお見送りして参りました。
その中で今もなお最も深く心に刻まれた「お別れの会」があります。
それは、1996年にご永眠された俳優「渥美清さん」のお別れの会です。渥美清さんといえば、シリーズ『男はつらいよ』(全48作品)があまりに有名。
折しもこの年は弊社の設立年でもあり、初めての大規模式典だけに無我夢中でお手伝いをさせていただいた記憶があります。
 

4万人が集まったお別れの会

お別れの会が開かれたのは、夏の強い日差しが照り付けた8月13日。
会場は、「男はつらいよ」シリーズが撮影された神奈川県の松竹大船撮影所でした。
献花に訪れたのは渥美さんを慕う俳優さんたち、映画関係者、全国から駆けつけたファンの皆様、全部で約4万人という気が遠くなるような参列者数でした。会場となった撮影所から大船駅まで長蛇の列が夜遅くまで途絶えることはありませんでした。

お別れの会の司会進行は、アナウンサーの徳光和夫さん。
私含めスタッフは一日がかりで約4万人の方々へ献花用のカーネーションを手渡し、翌日、軽い腱鞘炎になったことも今では良い思い出です。
 

「密葬」という言葉が広く認知されるきっかけに

渥美さんはガン闘病を経てご逝去、身内だけで葬儀をされたことも山田洋次監督はじめ関係者には一切非公開でした。ご家族だけの葬儀、いわゆる「密葬」を行い、後日、お別れの会を開催されました。「密葬」という言葉が世間に広く知れ渡りました。

「密葬」とは本来、後日、本葬やお別れの会を控えたお式で近親者だけの葬儀を指しますが、この頃から言葉が誤解され、家族で行う葬儀=密葬として言葉が独り歩きしてしまったのもこの頃でした。それだけ渥美清さんの死は広く社会にも影響を与えたのです。
 

前代未聞の弔辞とは?

さて、このお別れの会での弔辞は……。
山田洋次監督の渥美さんに対する謝罪の言葉から始まるという前代未聞の追悼の言葉となりました。
一般的に弔辞は故人の功績を称えることがメインとなりますが、闘病中も撮影を続行し渥美さんの身体に負担をかけてしまった謝罪と亡くなったことを知らされなかった寂しさを山田洋次監督は切々と語りました。
深い絆で結ばれていたお二人だったからこその渥美さんへ送る追悼の言葉でした。

次回も「著名・有名人の葬儀から学ぶこと」をエピソードをまじえお伝えしたいと思います!  
 


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