終活に関連する本は巷にもう、それこそあふれるほどありますが、中でも最近、気になったのが、『親とさよならする前に 親が生きているうちに話しておきたい64のこと』(サンクチュアリ出版)という本です。
親を看取る際に、リアルに役立つ内容だけを、とにかく簡単にわかりやすくまとめています。
表紙や挿絵はしりあがり寿さんのイラスト。およそ「終活の本」とは思えないような、なんともほんわかした雰囲気です。さらに、「もしも」の時に役立つ書き込み式ノートもついています。
この本の作者であり、一般社団法人日本クオリティ オブ ライフ協会の代表理事も務める清水晶子さんにお話を伺いました。
目次
親子の関係を見直してもらうために、書きました。
――お父様を見送ったときの経験をもとに書かれたそうですね。
終活に関する情報があふれている中、ノウハウだけで温度感というか、臭いというかがないように感じていました。
そこで、この本では「実際に困ること」を書きました。
7月に私の父の容体が悪化してから9月に息を引き取るまで、2か月の間でここに書かれたことをすべて、私自身も体験しました。父を看取った時に経験したリアルな思いや、トラブルについても書き入れています。
でも、父が他界することには触れていません。この本の中では、父は生き続けています。
――「こんなこともあるんだ」ということもたくさんあって、とてもリアルです。
事前にやっておくと、いざという時に「ラク」になれること、得することを64項目、書いています。
この本のお話をいただいたときは、まだ父は元気で、ぴんしゃんしていました。
ただ、今の「終活」という言葉が、一番初めのころに使われていた「終活」という言葉とは、意味が変わっていると感じていました。
――商業的な意味合いが強くなったということですか?
商業的なだけであれば、対応するサービスが生まれることで、生活者のメリットになりますから、悪いことだとは思いません。
私が怖いと感じたのは、終活の目的がいつの間にか「遺される人に迷惑をかけないため」に変わってしまっていたということです。
迷惑をかけないようにするために、人はどうするかというと、全部自分で何とかしようとする。すべてを自分で背負い込もうとすると、そこに生まれるのは孤立化です。
終活の中で一番重要なことは何かというと、コミュニケ―ションです。自分の老いや変化、トラブルに気が付いて、「助けて」と言う、本来の強さであり、勇気です。
そうあるためには、親子関係を見直すのが一番だと思って、この本を書きました。
今、本当に終活が必要なのは団塊ジュニア世代。
――終活で「子供に迷惑をかけたくない」という言葉はよく耳にします。
「迷惑をかけたくない」というのは、言い換えれば「嫌われたくない」ということです。
でもそれは大きな誤解です。
大切な家族が「助けて」といったら、その人のことを嫌うでしょうか?
それでも「嫌われる」と思ってしまうのは、家族関係に自信がないからです。
なぜなら、目に見える物にしか判断基準がないからです。
会社に属していれば評価というもので、他者承認があります。でも高齢期になると、人には他者承認がありません。会社を退職して名刺が無くなると社会的な承認が無くなります。その不安感は、現役の世代には想像もつきません。
ところが、褒められることもない高齢者が、唯一褒めてもらえるのが、物を買うときです。お金がなければ、「私はお金もあげられない」「プレゼントがあげられない」「役に立たない」から、嫌われてしまうと思ってしまうのです。それに不安を感じているんです。
それでは寂しすぎます。
親を寂しくさせてはいけません。
何もできなくなった時にこそ、その人の本質が現れると思います。
日本人は今、この人の本質に触れるということがまずありません。
その本質を理解するのは目に見えない精神の強さが必要です。自分は何者であって何が一番大切なのか。でもそれは気づきにくい。
これらのことを考えると、一番終活を学ぶべきなのは70代、80代の方ではなく、今40代くらいの方です。
――40代から「終活を始めるべき」ということですか?
私がこの本をどの世代に向けて書いたのかというと、団塊ジュニアの世代です。
「高齢期にはこのような、心情になる」「身体の状況はこんなふうになる」ということを、若いうちから学ぶ必要があると思います。
また、現役を引退するのが65歳と仮定した場合、40代であれば約20年間の時間があります。この間、貯金をはじめいろんな準備ができます。
「40代から終活を始めてください」というのはそういう意味があります。
でも、実際に本を手に取ってくださるのは、その上の世代です。
今40歳台の方々というのは、晩婚化などの影響もあって、ちょうど子育て世代になります。
子育てと介護が重なると、その優先順位はどちらかというと、子育てです。家という概念が大きく変わっていく中で、従来は先祖を大切にしていた先祖崇拝の文化が、今は子供を大切にする子孫崇拝の時代になっているのです。
先祖を大切にすることで、宗教観であったり、民俗であったり、目には見えないけれど大切なことを育てていたのが、今はそのような精神が育たない時代になっている。目に見えないけれど大事なものがあるということが伝わらない時代になっているのです。
現実の親との間にギャップを目の当たりにしてしまうのが介護期
――高齢化が進むことによって、さまざまな問題やトラブルも出ています。
高齢化の中で問題になることの根本は、人間関係だと思います。
かつて日本人の寿命がまだ50歳、60歳台の時代は、リタイアしたら比較的短期間の間に亡くなっていました。老後がない。大人の親子関係がなかったということです。
しかし、今は80歳、90歳まで生きます。リタイアしてから亡くなるまで30年近く、親子関係を続けなければなりません。これは、人類が初めて経験する人間関係です。そして高齢期の時間が長ければ長いほど、これまでの親子関係とは違った関係に変化します。
ほとんどの方がお悩みになっているのは、この大人の親子関係からくるトラブルであったり、わだかまりや問題です。
この30年間をいかに上手に乗り越えるかがポイントだと考えています。
――清水さんの考える「大人の親子関係」とはどういうことなのでしょうか?
父を送ったとき、私が感じたのが、「親離れができた」ということです。
子供のころから、母は私にとってスーパーウーマンでした。でも父を看取る中で母の老いを感じ、私は幼い自分との決別ができたと思いました。
人間の成長の一番大切なことを、親を看取ることで体験できました。
だからこそ、皆さんにも親を看取る一連のことから目をそらして欲しくありません。
自分のできることでいいので親を支える。
その時の親とのコミュニケーションの中で必ず、自分が成長する機会があると思います。
ここでいう「親離れ」というのは、自立のことですが、この自立には3つあると思います。
「経済的な自立」「生活の自立」、そして「精神の自立」です。
経済と生活の自立については、親元から離れることで、ほとんどの方ができていると思います。
ただ「精神の自立」が難しいのかなと感じています。
精神的な自立をするためには精神の豊かさ、強さが必要です。
それは古来、人々の日々の生活の中で、醸成されてきたものなのです。ところが現在はそうしたことが感じられにくくなっています。
そのため、親に対して過剰な期待を寄せていくことになります。
経済的、生活的に独立した後も、神格化した親が自分の心の中で成長してしまうと、現実の親との間にギャップが生じてきます。それを目の当たりにしてしまうのが介護期なのです。
弱くなってしまった親、認知症になってしまった親、動けなくなってしまった親を前に「こんなはずじゃなかった」と打ちひしがれるのです。
――そのショックは大きそうです…。
子供のころに祖父母の老いや死を見ていたら、また違うのかもしれません。
しかし、そうした経験を全くしないまま大人になると、親の老いを認められない。自分が子供のころに見ていた立派な親を喪失してしまったことによる大きな悲しみが生じるんです。
精神的に自立ができていれば、親の老いを受け止めて、今度は自分が親を扶養するというように、立場を入れ替えることができます。ところが自立ができていないと、攻撃とか拒絶という反応に表れるわけです。
――自分の親を拒絶してしまうということですね。
法律で決められた親子関係は、シンプルに扶養と相続の2つだけです。
扶養というのは生活、精神、経済すべての面倒を見るということです。親が子の面倒を見るのもそうですし、反対に子が親の面倒を見るというのもあります。
一方、相続は亡くなったときに資産、財産を継ぐという関係です。
子供の面倒を見るのは当たり前と思われていて、面倒を見なければネグレクトとして処罰の対象になります。でも反対に、子供が親の面倒を見る、親を扶養するという意識があまりありません。
いつまでたっても親は親という感覚です。
この感覚が親に対する精神的な依存を残しているというわけです。
高齢化社会というのは、子が親を扶養するというタイミングをどこかで迎えるということです。
――親の老いを受け入れて、新しい親子関係を構築することが大切ということですね。
私はお葬式の現場で18年間、残されたご家族の抱えるトラブルもたくさん見てきました。
もし、死のもっと前の段階で、送る側と送られる側がお互いに準備をして、お互いが歩み寄っていれば、幸せな死はありえなくても、「生を全うした」と思えるような人生を送れるのではないか、と思っていました。
この思いは、自分の父を看取ったときに確信に変わりました。
その経験から、これからは大人の親子関係を醸成する、親子で行う終活が重要だと思っています。
子供が親を送る時、親は身をもって、人としての生きざま、死にざまも見せてくれます。
次回作は『親とさよならした後に』?
――お子様方も一緒にお父様を送られたそうですね。
病室でもラインはできたので、私の子供たち、つまり父の孫ですね、も、そのラインのグループに入ったんです。
写真を撮って、ラインして、面白いですよ。
父の「ジイは入院しました」から始まって、娘が「元気出して」って、自分の写真を送ったり、父が動画を撮って「元気出たよ、ありがとう」って送ったり、
娘がちょうど大学受験の時期だったのですが、父が動画で「がんばれー」って送ると、娘も「がんばるよ」って、また写真を送ってくるんです。息子の彼女がお見舞いに病室に来てくれたり。なるべくお見舞いに行って、そのたびに写真を撮っていました。
だんだん、「心臓のモニターもついてしまいました」とか、次第に病状が悪化してラインに本人が登場できなくなって。でも、コミュニケーションをとることで、この時間が、ただ死を待つだけの時間では無くなったはずです。
子供たちにとってもラインに登場することで、父がいたこと、父とこういう風に交流したことが、彼らの中に色濃く残るはずです。言葉では説明できない、命の大切さや人とのつながりとか、人の最後が肌感として残ると思います。
――本を書き終えて、いかがですか?
『親とさよならする前に』を上梓したいま、今度は『親とさよならした後に』を書きたいと思っています。
「さよなら」の後も、相続などいろいろあるんです。
例えば、私は昨日、初めて家庭裁判所に行ってきました。相続を放棄したので、その証明書を出してもらう必要があったのですが、裁判所の案内看板には相続の「そ」の字もなくて、右往左往してしまいました。というか、そもそも家裁だと思っていた場所が法務局だったんです(笑)。
こんなこと、体験してみなければわかりません。
やはり、こういうことも伝えていかなくてはいけないと思います。
――お別れの形もこれからますます変わっていきそうですね
良いコミュニケーションをとるのに役立つツールはたくさんあります。高齢者ほど、そうしたコミュニケーションツールを使うといいですね。
そうすることで、次世代のお別れの仕方も変化してくるのかなと思います。
今回、私が父を看取って悲しいことは悲しいですし、涙もたくさん出ました。
でも、そこには余計な感情はありません。
ただ父を失った悲しみだけ。
死にはいろんな死があります。
受け取り手がどういう風に死を感じて、それをどうつなげていくかが重要なのでしょう。
この本に収めた64の「話しておきたいこと」の中で、ひとつでもいいので、気になるところから、親子の会話を始めていただければと思っています。
――ありがとうございました。
(小林憲行)