四十九日が終わり、あらためておかあさんの「生前の意思」というものについて考えています

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今は亡き母へ

白百合、ピンクのバラ、トルコ桔梗……。

祭壇の花々が遺影に映えて、あなたの笑顔は、とても若やいで見えました。菩提寺の、まだお若いご住職の読経が響く斎場には、弟と私の家族のみ。おかあさん、あなたの生前の意思通り、小さな、小さな葬儀です。

弟や私からの同居の申し出をピシャンとはねつけ、最期まで一人暮らしを貫いたおかあさん。「そのかわり迷惑はかけない、わたしはコロリと逝くつもりだし、葬儀はあんたたち二人の家族だけで十分。いいね、家族葬だよ」と、私たちの目の前で便箋に大書したのには驚きました。

けれども、おかあさん。私たちは、あちこちからお叱りをいただいたのです。長いこと会っていないお父さんの妹からは「実の姉より義姉のことを慕っておりましたのに」というお手紙が。まったく音信がないと思っていた昔のお友だちのKさんからは「盆暮れに顔を見に行き、一緒にコーヒーを飲むのが楽しみだったのに」という電話が。皆さん、語尾に「のに」がつくお言葉で、あなたにお別れができなかった残念さを弟や私におっしゃるのです。

ご近所の方々から「子供たちに迷惑をかけたくない」が、あなたの口癖であったことを聞かされたとき、葬儀を「家族だけで」と書き残したのは、一人暮らしのわがままを貫いてきた、あなたの矜持であり、本意ではなかったのではないかと思い始めました。従兄のSちゃんは、こう言いました。「本当のところは、生前の叔母ちゃんらしく、賑やかに華やかに見送ってほしかったんと違うかなあ」。

四十九日の法要が終わり、あらためて故人の「生前の意思」というものについて考えています。私たちのように、遺された者が故人のすべてを理解しているかと言えばそうではありません。遺族の知らないところで、深くつながっている人と人との縁というものがある。遺された者は、それを思わなければならないということに気づきました。

おかあさん、今となってはコトの真意を知ることはできません。私たち家族は、家族だけの葬儀で、しみじみとあなたをしのぶことができました。その一方で、生前、あなたを敬愛してくださった皆さんが、あなたと最期のお別れをすることを心ならずも阻んでしまいました。

おかあさん。皆さんのあなたとの思い出が、ほろ苦いものになってしまわないよう、これから私たちは皆さんに、心からのお詫びと生前の御礼を、繰り返し繰り返し伝えていこうと思っています。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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