じいちゃん

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今は亡き祖父へ

私の家は共働きだったため、よくじいちゃん家に預けられる事が多かった。

じいちゃんは、とっても怖くて、いつも怒ってて、台所で料理する時は必ず一升瓶片手に一杯飲んでから料理を始める姿があった。ご飯を残そうものなら、舌打ちされて残さず食えなんて言われた。だからじいちゃん家に行くのが怖くて、行きたくない、なんていう事もよくあった。帰りの車の中では、じいちゃん早く死んじゃえばいいのに……なんて子どもながらに最低な事言ってた。

でもいつも怖かった訳じゃない。私がもっと小さい頃は、怪獣ごっこしてくれたり、花の名前を教えてくれたりと良い思い出もあった。

私のじいちゃんは義眼で片腕がなかった。戦争の時に爆弾に触ってしまい腕が飛んでしまったらしい。板前を目指していたがその夢も絶たれた。

そんなじいちゃんが作ってくれるお昼は必ず、焼きそばだった。水の入れすぎなのか、ビチョビチョで麺もぶつ切れ、味も薄くて、正直言って美味しいとは言えなかった。でも残すと怒られるからと一生懸命食べた。

じいちゃんの葬式の時は、従兄弟と共に大泣きした。

お経をあげに来たお坊さんにこんなに泣くお孫さん達を見るのも珍しいです。なんて言われた。

どうしてかな。あんなに怖くて大嫌い、って思ってたのに……。きっと大泣きしたのは罪悪感もあったんだと思う。

ごめんね、じいちゃん陰で酷いこと言って……って。

でもね、じいちゃんのお陰で私は障害を持っている人に偏見をもつことはなかったよ。じいちゃんのお陰で広い視野で人と関われていると思うんだ。別に何か教わったわけではない。一緒にいてくれたあの時間に、私は色々なことを教わったんだと思う。義眼の眼が怖いと思う事はなかった。腕がなくて「どうして?」と思う事はあっても、怖いと思う事はなかった。世の中には色んな人がいるということを、幼いころに知っておけて良かったと思う。

ねぇじいちゃん。不思議な事に、あんなに怒られて怖かったことが、今では皆で懐かしいね、って笑って話せるんだよ。

今振り返っても、なんであのときあんなに怒ったんだろう? とか、いつもだったらあの場面では絶対怒るのに何であの時は怒らないで笑ってくれたんだろう? とか、不思議に思うことはたくさんあるけれど、ただ時々無性に思う事は、じいちゃんの焼きそばが食べたいなってこと。

変だね、あんなに美味しくないって思ってたのに。

あの緑のお椀に入ったビチョビチョの焼きそばが食べたいんだ。きっとまた作ってもらっても美味しくないやって思うんだろうけどね。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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