今は亡き祖父へ
お祖父さん、梅雨季を迎え、私と息子は毎年恒例の浴衣姿で夕方から夜を過ごしています。
今日も亦、息子と共に着替えました。下腹の処で結んだ帯をくるりと腰に回し下腹の帯を軽くポンポンと叩く息子の姿を目にする度に、お祖父さん、あなたのことを懐しく思いだします。
――この帯叩き、息子は私を真似、私は父を真似た。
父は……、お祖父さん、あなたを真似たのですね!
小学校五年生の頃、両親とお祖父さんとお祖母さんを訪ねたとき丁度着替えているあなたが帯
・ ・・ポンをして笑みを浮かべる姿を目にしたときの驚きは、強く印象に残っています。
「お父さんと一緒だ!」と。
同時に、それまでの何となく近寄り難い思いがしていたお祖父さんに親近感を抱くようになった瞬間でした。
私が息子の年代の頃、父が話してくれました。
「人は、特に男には、此処一番という勝負どきが必ずある。そのときの為に日頃から準備しておく必要がある。帯を締めると気分が落ち着き力が湧いてくるぞ、と言われて帯を締めるようになったのだ。もっとも帯ポンだけは真似たけどな」
父は続けて言った。「お前は私と違って本番に強いと思う。更に強くなる為に締めるといい。身体を締めつけるのではなく身体と精神を引き締める為にな。そうすると自然に下腹に力が入るよ」
お祖父さん、私は父を通してあなたの多くの教えと諭しを識りました。
例えば“古いにしへの道を聞きても唱となへてもわが行おこないにせずばかひなし”に始まる島津忠良の薩摩藩士の子弟教育の教典、家庭教育の糧としてのいろは歌四十七首は早くに諳んじ、現
い
ま在
で
は
そ
の
意
義
も
私
な
り
に会得しているつもりです。
子ども心に近寄り難い思いは、成長するにつれ、あなたへの畏敬の念であるのを知りました。
あなたから直接諭された一つに親孝行があります。
「私たちは君に忠、親に孝との教えが小どもの頃から染み込まされていたが、敗戦により忠の観念も言葉もなくなった。親孝行は、言葉はあるが実体がないように思う。それではいけない。お前は実体のある言葉にして欲しい……」
私は少なくとも親不孝者ではないと思いますが、お祖父さんに納得してもらえるかは疑問です。
これからの課題ですね。
お祖父さん、あなたの教えは帯ポンと共に父に引き継がれ、私は父から受け継ぎました。
そろそろ息子にも引き継ごうと考えています。
瞳の奥に私たちを思いやる優しい眼差しのあなたが懐しく思える今日の夕暮れです……。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。