今は亡き祖母へ
「お母さんが死んじゃったらどうするの」
祖母が私に尋ねた。病院で母を見舞っているときであった。
「ぼく、おばあちゃんと暮らすからいい」
それを聞いた母は涙ぐみ、私をベッドの中で抱いた。
私は母親に心配をかけまいと精一杯我慢してそう言ったのだった。
母は病弱であった。私が幼い頃から長期の入退院を繰り返していた。
その間は祖母との生活があった。
祖母は明治生まれで、昭和生まれの父母にはない豪快で、自由な雰囲気を身にまとっていた。
姑に苦労しながら、子供九人を産み育てた。
棟梁であった祖父の仕事を手伝い、大勢の男衆を相手に暮らしてきたせいか、愛想がよく、話は軽快で、気風がよかった。
祖父は優しく、情に厚い人であった。しかし脳溢血により、五十一歳で逝った。
子供たちは嘆き悲しみ、祖母は、ひと月ほど寝込んだ。起き上がる気力が出なかったという。
あとには十人の家族と、大きな屋敷が残された。
しかし、その後の祖母は逞しかった。
一人で下宿を営み、子供たちを育て上げた。
七人の娘たちを嫁がせた後の祖母の仕事は、専ら娘たちの出産や孫の世話だった。頼まれては娘たちの家庭を順番に回っていた。
行く先々で、孫たちに「いい男だ、美男子だ」「めんこい娘だ、美人だ」と言うのが口癖だった。
そう言われ続け、孫たちは、まるで石像でさえ愛されれば生身の美少女に変身してしまうという古代の魔術にかかったように、皆よい方に変身していったのではないかと思う。
現在、孫は十五人、ひ孫は二十八人となり、更に増え続けている。
大好きな旅行から戻った祖母は風邪で寝入った。
そしてそれが最後となった。九十歳であった。
祖母に伝えたいこと、それは、
「あなたが、孫たちにかけた魔法によって、みな美しく変身しましたよ」
また、祖母が祖父と共に育み、大事にした想い、それは、
「人を愛し育むことの大切さ、そのための優しさ、逞しさを身に付けてほしい」
との想いと理解している。
孫たちはその想いをしっかりと受けとめ、引き継いでいます、と伝えたい。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。