約束

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今は亡き夫へ

暑い夏の八月十三日に、あなたは旅立ってしまいましたね。家族に見守られ最後に「ありがとう」と言って一粒の涙を流し、息を引き取ったあなた。さぞかし無念だったでしょう。

平成二十二年のクリスマスイブの日。警視庁の昇任試験に合格し、喜んだのも束の間のことでした。今迄、警察官として酷使していた身体は、いつのまにか病魔に蝕まれ、深刻な病になっていたのです。骨髄異形成症候群という病で、生きる道は骨髄移植しかありませんでした。

本来なら翌年の二月には警視として、着任するはずの辞令がでていたのですが、取り消され、それどころか絶望の淵にたたされ、闘病生活を余儀なくされたのでした。

あなたは、最後の最後迄、職場復帰を願い、辛い治療にも弱音をはかず、頑張っていましたね。

ドナーさんがいつ見つかるかわからずに悲嘆にくれる頃、奇跡的に甥とHLAが合致し、一筋の光が見えました。

抗癌剤治療、そして、三月四日に甥から末梢血幹細胞移植と順調に進み、翌月中旬には退院も出来ました。

誰しもが安心している矢先に、再び病魔が牙をむきはじめたのです。それはGVHDと言い、ドナーさんの細胞が主人の身体を他人と認識し攻撃して、重い下痢を引き起こしたのです。再び入院し治療しましたが、下痢は治まらず、あろうことかまた、本来の病が再発し、五十八歳という短い一生を終えてしまいました。

あなたが亡くなった後、医学部に通っていた次女は、「今の医学をもってしても、お父さんの生命を救えなかった」と気落ちして、大学六年生の一年間休学してしまいました。

お父さん、でもあなたの娘は約束通り医師になりましたよ。

国家試験に受かった時、私はあなたとの約束が守れたことで涙しました。国家試験合格は一つの通過点に過ぎないかもしれないけど、あなたが望んでいた医学の道へ歩み始めて安堵しました。

明日より、いよいよ病院勤務という前日、白衣姿で仏壇の前へ行き、「お父さん、私約束通り医者になったよ。今迄応援してくれて有難う」と報告した時、あなたはさぞかし喜んでくれたことでしょうね。

お父さん、あなたの死を無駄にはしません。

あなたの病に対する真摯な態度。そして、その時の辛さ、苦しさがわかるからこそ、娘も患者さんと一緒に頑張り、家族の方への励ましも出来る医者になれることでしょう。

娘が将来に渡って、信頼される医者になれるよう、いつも天国、否、ずっと側で。見守っていて下さいね。

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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