私の家族へ贈る手紙

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今は亡き家族へ

鴫原 定雄 様

今は亡き夫父ちゃん貴方も急に逝れましたね。

なんでそんなに急いだのよ。あの時私は最高に体調が悪く看病の一日も出来なかったのが残念でした。ごめんなさいね。

お互いに戦争と大きな社会に遭遇して苦労しましたが健康(命)という大きな財産に恵まれて助りました、感謝です。

父ちゃんは海軍衛生兵に十八才で志願。

私は東京深川で看護婦として働き三月十日の大空襲にみまわれましたが健康という大きな賜が与られ現在まで元気でいる事を感謝にたえません。

父ちゃん今度ね、「あの人へ贈る言葉」という募集があったので手紙を送ります。

私共は五人の子供に恵まれて幸せです。

昨日、長女 美恵子、次男 由光が墓参りに来てくれました。

私はあまり健康でないので現在デイサービスに週三回いってます。

腰から下がフラフラになっているのです。

父ちゃんのいる時は入退院のくり返しでした。

そしてデイサービスに三ヶ月間、宿しているとき貴方は毎日のように面会に来てくれたわね。

ありがとうございました。今はよほどあの頃から見れば良いように思いますが、まだまだよくばってよくなりたいと思って頑張っています。

金婚式の頃が人生の花だったね。土湯温泉で子供、孫に少しだけど、子供五人に一人五十万円、孫十一人に一人二万円プレゼントした頃が一番身も心も元気で良かったですね。

面白い珍しい話しましょう。

三月二十日 川俣町にのど自慢

千昌夫、八代亜紀さん来場。

私もデイサービスの歌、星かげのワルツで歌うと書いたので替歌で出場するつもりで申込んだら、替歌はダメとの事で星影のワルツをうたってくれと一九二番の券が送られて来たので出場しました。が、見事落選しました。生れて初めての体験をしました。

人生はドラマです。

今の社会は混迷しています。

人の心もみだれて居りますが私は余す人生有意義に生きようと思います。

病気も八十才を過ぎると与えられた運命と自負して病気に感謝の念を込めて戦っています。

病気にも感謝しつつ毎日を楽しく生き抜いて居りますから安心して下さい。

又こういう機会がありましたら手紙出すよ。

ケサミより今は亡き孫

鴫原 章 様

今は亡き孫章、しばらくだなぁ。お前が二十三才で遠くにいって丸六年五ヶ月になったよなぁ。

今度「あの人へ贈る言葉」という募集があったので早速、章に手紙を出します。

章に手紙を書くなんて(三河屋という寿司屋さんにいる時出したきりだわ)こんなステキな事は初めてです。

早速よろこんで書せてもらいます。

章、三週間ほど前に夢の中で家のまわりで遊んでいるお前の姿をみたぞ。

「婆ちゃん、俺は死んではいない、生きているから泣かないで」

と言って笑顔ではねまわっている姿をありありと見せられたよ。

その言葉を信じて楽しんでいるよ。

東京の三河屋の社長さん、三年間、十回墓参りに来てくれた。同僚の方三人も遠い所、来てくれて感謝です。同級生も時々来てくれます。

章も今頃までいたら結婚し孫の顔も見られた事でしょうね。

章が逝って間もなく爺ちゃんが逝き、其の時から婆ちゃんは体調が悪くなり現在に至り、今はデイサービスに週三回お世話になっている。

今は少し良くなっているが腰から下のシビレが強く病気と戦っています。が病気にも感謝してる。章、面白い話をしようね。

川俣町にも初めてのど自慢が三月二十日にあり、千昌夫、八代亜紀さんが来たのです。

婆ちゃんはデイサービスでつくった歌詞を星かげのワルツで歌うと書いた。それでのど自慢に出場応募したところ替え歌はダメとのことだった。

星かげのワルツで歌うよう一九二番の券が送られて来たので出場したが落選となりました。

長生きするとこんな面白いこともあります。

人生はドラマだなぁと思いました。最近は社会が大分混迷しています。

不況で経済界、人間も荒れています。

人生の道標(みちしるべ)明るく元気で修業を続けたいと思います。

章なぁ、いつか楽園の場で爺ちゃん達と一諸に過せる日を楽しみに待っているよ。

体に気をつけ廻りの人の交流を深めて安心した生活を送ってくれ。

又こういう機会があったら手紙出します。

婆ちゃんより今は亡き両親

高橋 茂平 様

    サイ  様

御両親様へ

この度、百歳万歳社・鎌倉新書様より「あの人へ贈る言葉」という原稿募集がありましたので早速手紙を出させて頂きます。

こんなうれしい事すてきな事は初めてです。

深く深く頭が下ります。

先づ近況からと思いましたが

母 昭和三十三年十一月二十六日

父 昭和三十五年一月十日 

に逝かれました。別れて約五十年以上になりますね。

自分の求めた土地や家を離れて嫁がせた娘の家にいき、見守ってもらった事はどんなにか形見がせまい思いをした事でしょう。よく心境を察します。何も親孝行出来なかったこと御許し下さい。

今、姉は98才、私は88才で皆幸福に自分の家で長男夫婦と共にいますから安心して下さい。

昭和と平成の時代はまるで変化していますので私共の今の社会がよくなり幸せに暮すことが出来て、こんなうれしいことはありません。

とても面白いお話しをします。

私はあまり歌が得意でないほうの者ですが、川俣町に初めてのど自慢が来場する事になりましたので、三月二十日第一回予選会に出場しましたら見事落選しました。一緒に出場した知人四人の老婆年令合計で336才、皆落選です、笑って下さい。人生はドラマです。こんな事に出場するつもりはなかったのですが、自然に与えられた運と思っています。私は今、体調が悪くデイサービスに週三回通っていますが、私がデイサービスの歌に作った歌詞を星かげのワルツで歌うよう応募しました。(とたんに)川俣町体育館での三月二十日の予選会に出れるとの事。一九二番の券が送られて来ましたので出場する事になり、あまりにも急な出来事にびっくりし廻りの人もおどろき大笑いでした。

予選会には落選でした。長生きするとこんな面白いこともあります。

長い人生はドラマです。

私も余す人生は楽しく明るく生きようと願っております。

病気とも楽しくつきあって、デイサービスの機械等を上手に利用して皆さんと楽しく過しております。

こちらの方は何も心配ありませんから御安心下さいませ。

又、お話する機会が与えられたら手紙を送ります。

書きたい事は山ほどありますが今日はこの辺で失礼します。

父、母ちゃんへ

ケサミより

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より

「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。

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