今は亡き妻へ
文ちゃんへ、5回目の春のお彼岸の日に、この手紙を書くことに何か意味あるモノを感じているんだ。
今、「文ちゃんを送る会」の前後の時期の資料をまとめた、
黒表紙の2冊のファイルを読み返していた。君と初めて出会った日からこの世での別れの日まで、25年のうちの20年と11ヶ月の人並み以上の幸せな結婚生活を、僕は君によって送らせて貰えたんだと、あらためて感じた。
その会に出席してくれた人や、さまざまな事情で出席出来なかった人からのメッセージを読み返して、いかに君が素敵な人であり、僕のことを思ってくれていたかが、お世辞を割り引いても有り余るエピソードで綴られていた。
5年経った今日もまた、幸せな気分にさせられたよ。
余命5ヶ月の死刑宣告を医師から告げられた、忘れもしないあの日からの例えようもない日々。
その終焉となったあの台風間近のその日、君の待つ病院へ向かう電車や、飛行機や車の車窓に写る自分の影。
とうとうその時を迎えなければならなかった、逃げ場のないベッド脇。君のこの世の最後に、僕と一緒に、立ち会ってくれる君の愛する家族。君の苦しそうな息づかいと、最後の「かっ」という絶命の瞬間。
そして、その時、君は安らかに天に召されたんだね。
僕をこの世に残して。
でも、本当に良かったと思ったんだ。
君が楽になれて。それから、君を実家に連れて帰った。
最後の闘病生活をした故郷青森の実家のある町で葬儀を行った。
お骨となって700キロメートル余りを僕と旅して横浜の自宅に帰った。
なんの世間的な評価もない、市井の人である君にも関わらず、東京で知り合った多くの友人・知人に集まってもらって「文ちゃんを送る会」を開かせてもらえた。そして、またも700キロメートル余りを僕と旅して今度は、「長男の嫁だから」と生前元気なときに自分の母親に言った通りに、僕の祖父母と供に僕の生まれ故郷に葬られ、5年前から先に眠っている。
あれから5年。君の知らない僕の濃厚すぎる人生があるんだ。
君の居なくなったこの世に何の希望もなく、打ち拉がれた日も何度か訪れた。
今は、それらもすべて想い出だ。
君との想い出を胸の奥に大事にしまって生きることが出来るよ。
なぜなら、「君が素敵な人だったからさ。ありがとう。文ちゃん。」
照れ臭くて君がこの世にある時には言えなかった、言葉がやっと言えたよ。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。