はじめてのお葬式ガイド
葬儀のことなら「いい葬儀」

終活や、参列のマナー、もしもの時におさえておきたいお葬式の知識など、はじめての方にもやさしく解説します。

葬儀に価値を感じない人が価値を感じるお別れとは何か?僕たちはサボらずに考えなければいけない

竹之内裕文教授_死生学カフェ

(インタビュー:静岡大学教授・竹之内裕文)

静岡大学農学部で、哲学・倫理学や死生学の分野で教鞭を執っておられる竹之内裕文教授。死生学と対話についての研究を行なっているほかに、2015年からは「死生学カフェ」という、対話の場を提供する活動を行なっています。死生学カフェとはどのようなものか、その活動内容や現代日本人が生死について話す意義などについてお聞きしました。

生死について話し合うと、支え合う関係が変わる

竹之内先生は現在、大学のある静岡県や全国からの招きに応じて、死生学カフェを行っていらっしゃいます。先生が死生学カフェを始められた経緯をお聞かせください。

僕がまだ若い頃から長年お付き合いがあった、20歳ほど年長の岡部先生という医師が2012年に亡くなられたんです。その岡部先生と、生前、「患者や遺族がふらっと飲みにきて、話したいことを話せる場所があるといいよね」と話したことがあったんですね。

患者さんが飲みにいくと「病人なのに酒なんて飲んで」と不謹慎な態度に見られがちですが、患者さんだって、構えずに行けて話したいことを話せる場がほしいんです。スウェーデンでの生活(2011-12年)を通して、僕自身も対話の魅力に気づいて、帰国後、1年間の準備(勉強会)を経て、2013年6月から哲学カフェを始めました。そのうちに岡部先生と話していた生き死にについて話す場もほしいという思いが高まり、2015年1月からは、死生学カフェも始めました。

死生学カフェと哲学カフェはどのような違いがあるのですか?

どちらも問いを立てて、それについて参加者が数名のグループを作って対話を行ない、各人が違うところから問いに光を当てて、同じ問いについて考えを深める仲間になるという点では同じです。でも、哲学カフェと死生学カフェは違うものになりましたね。というのも、まず、参加者が違うんです。

哲学カフェの場合、当事者性の痛みを持つ人以外に、抽象的な議論が好きな人の参加が目立つんです。60歳から70歳くらいの男性が多いですね。死生学カフェは、それぞれの痛みを抱えている人ばかりです。女性が多くて、年代は20代から70代までと幅広い。当事者としての痛みがあるかないか、その痛みの程度は一人ひとり違うにしても、それは大きな違いになります。めいめいに語って、しかも同じ場にいる人どうしを分断しないため、ファシリテーターの舵取りが重要になります。

問いとはどのようなことなのですか? そしてどのように対話を行なっていくのでしょう?

毎回のカフェの最後に、参加者全員で次回の問いを立てます。ここ数回でいえば、「悼むというのはどういうことだろう?」「葬儀は誰のためのもの、何のために行なうものなのだろう?」というようなものです。そして開催1ヶ月前に改めて告知し、各自が学んだことや考えたことなどを携えて、対話に臨みます。

問いに対して、参加者がどのように近づいていくかという道筋が重要です。事前に参考資料などを読んで考察を行なっていても、私自身は自分の「答え」が出た状態で対話に臨むとは限りません。それでも事前に考察しておくのは、いく通りかの思考の道筋がつくので、他の方の発言を理解しやすくなるからです。また、発言を誘導・操作しないために、一度学んだことは全て忘れて、まっさらな状態で参加者の発言を聞くようにしています。

参加者は授業・講演やFacebookの告示ページを通してだけでなく、口コミや紹介のようなかたちでくる人が多いですね。毎回数人は、遠方からの参加者がいます。ご遺族だけでなく、がんサバイバー、自殺願望のある人、臨死体験をしたような人もいますよ。バックグラウンドもキャラクターも異なる方たちばかりなので、対話はアドレナリンが出っぱなしのような状態です。

製薬会社や看護ステーション、福祉施設、障害者の就労支援施設などに招かれることもあります。一度参加された方が、職場の他のスタッフにも味わってもらいたいと考えて、招聘してくださるケースが多いですね。

生死に関わる企業や施設では、ある意味、生き死にというのは「商品」という面をもっているでしょう。でも、仕事に結びつけて考えるだけでなく、生き死について本当の話をしたいと思って、招いてくださるのだと思います。

実際、同じ職場のメンバーで死生学について対話する経験をもつと、人間関係や支え合う関係がガラリと代わり、職場の雰囲気も変わりますよ。

他者の話を注意深く聞き、細やかな差異に気づく

人によっては、立てた問いが重いテーマである場合もあるかと思います。どのように対話を進めて行かれるのか、興味があります。

死について話せる場がないというところから始まったので、死生学カフェの参加者は、自分にとっては切実な問いを持っていても、話す場がなくて悶々としている人が多いですね。ですから自分の思いの丈を語り尽くしたい人が多いですし、「私は辛いんだ」「俺の辛さはわからないだろう」という人もけっこう多いです。また、人の意見をとにかくいろいろ聞いておきたいという人もいます。いずれにしても最初は、「対話できる人」ではないんです。

でも、参加し続けているうちに「対話できる人」に変わっていきますね。他の参加者の多様な「死のかたち」にふれるうちに、自分がどういう「死の課題」と向き合っていくべきか、明確になってくるのではないかと思います。

対話をする上で気をつけていることはあるのですか?

「ルール」とするとかたいので、「大切にすべきこと」を設けています。その四番目に「聴くこと」があります。人の話を聞くことがなければ、対話は成り立たないのですね。対話における「聴く」というのは、聞いたことすべてを鵜呑みにするのではなく、注意深く聞いて、自分との細やかな差異に気づくことなのです。ですから、自分の話を聞いてほしい人でも、人が話すときは徹底的に聞こうとする姿勢が求められます。たとえ誰かが泣き出すことがあったとしても、対話の場が破綻することはありません。

先ほど例示された問いは、シンプルですが、答えるには難しいように思えます。自分は何を話せばよいのだろうと思ってしまいます。

問いに対して「正解」を出そうと上段に構えると難しいですよ。「私にとっては」ということから話すと、各人がいろいろな視点、つまり他の参加者との細やかな差異をつかめるようになり、それぞれが語って終わりにならないと思います。グループで対話をして、自分なりの答えを出す。あるいは対話をしながら、いくつかの選択肢が見出され、何が答えとなり得るかを全員で探っていく場合もあるかもしれません。そのプロセスそのものがグループ対話のユニークな筋道になるのです。

カフェの後半は、共通の問いに対する各グループの答えを共有しながら、全体での対話へ移行します。ただ議論ではないので、その場合も、意見をまとめる必要はありません。むしろ対話の筋道に関心があるので、グループ対話で盛り上がったこと、印象に残ったことを語ってもらうこともあります。同じ問いについて対話しているのに、各グループで話していることがまったく違うことばかりです。非常に興味深いですね。

葬儀社が集まり対話をしたら、細やかな差異が出るだろう

ご葬儀については、ご本人(故人)にとっての正解は、残された人には誰にもわからないという面があります。ですから、葬儀社の「故人様のため」が社や担当者によってずいぶん違うということがあります。

それはまさに、各人の答えの細やかな差異ですよね。違う会社の人に集まってもらって、たとえば「なぜ献花するのか」という問いのもと対話をしてみたら、非常におもしろいだろうと思います。葬儀の具体的なかたちをどこに求めるかは、それくらい難しい問題でしょう。伝統として行われてきたことでも、時代を経て意味が変わってくることがあります。

そもそも「葬儀は何のためにやっているのか」という問いが難しい。けれども、「葬儀をどのように作りたいのか」という問いに対してならば、関わる人たちで対話を行なって、その人たちにとっての答えを導き出すことはできるかもしれません。終末期ケアのチームは、患者と家族を中心にすえて、まさにそのような仕方で、看取りをしていますよね。

かつては自宅で、各種コミュニティの協力のもと葬儀が行なわれていたので、自然に対話も行われていたのでしょう。しかし今後は、遺族、葬儀社、宗教者のほかに、時間が限られた中で、遺族と対話するソーシャルワーカー的な存在が入る必要があるかもしれませんね。

そもそも、ご葬儀を故人のために行なうのか、それとも遺族のために行なうのかによっても答えは変わってくるように思います。現在は、故人のためになることを行なえば、結果的にご遺族のためになるという考え方が主流のようですが。

でも、両方を満たすようなことを、できるだけ実行するという選択肢もありますよね。ですから、何を大切にするかを決めることが重要です。ご葬儀に限らず、物事は何事もそうではないでしょうか?

余談ですが、死生学カフェで「葬儀は誰のために行なうのか?」という問いを立てたら、故人のため、遺族のためというオーソドックスな答えのほかに、「コミュニティのため」「宗教者の生計のため」と答えた人もいましたよ。

葬儀には、悲しむ遺族が立ち上がるサポートの役目もありますが、実際に立ち上がるところまで見届けるほどの余裕はありません。

人が亡くなるときは、まず医療、次に葬儀、遺族のグリーフケアと、住み分けされていますよね。かつては親戚やコミュニティがつなぎの役割を果たしていたのでしょうけれど、その関係は崩れてきています。そこで、それぞれがつながる足場や拠り所が求められています。それを築く糸口を与えてくれる考え方が「ホーム」と「コミュニティ」ではないかと思っています。

私は、人は、ホーム無くしては生きていけない存在だと思っているんですよ。ホームというのは、くつろげて、自分のプライバシーが守られて、気のおけない家族や友人、ペットなどコンパニオン(仲間)がいる場所。自宅がホームである人も多いでしょう。しかし妻に先立たれた独居の高齢男性にとって、訪ねてくる人もなく、荒れ放題の自宅がホームかといえば、そうは言えない場合もあるでしょう。年齢や境遇に応じて、「ホーム」は場所とかたちを変えるでしょう。しかし、人がホームを失くして生きていけないとしたら、生まれてから死ぬまで、いや、死後も、切れ目なく「ホーム」を確保する必要があります。

別れのかたちについては、サボらずに考えなければいけない

近い将来、日本の高齢者医療制度は超高齢化によって崩壊すると危惧されています。その対策として「ともにホームを築こう」と提唱していらっしゃいますね。

今後、終末期医療「難民」が多く生み出されるのは目に見えています。その部分をサポートする考え方として、死に場所として、自宅か施設か、それとも施設かと難しい選択を迫るのでなく、「ともにホームホスピスを築く」という発想があってよいと考えています。それは終末期というより、もっと長い目で見た「生きる場所」です。

歳をとると、家族構成や、自分のできること、能力などが変わります。ライフステージの変化に応じて、ホームも変わっていいと考えれば、うまい選択ができると思うんですね。たとえば広島カープのファンは、カープファンの集うお好み焼き屋さんに行くと、初めての場所でもすぐに打ち解けられるでしょう。それもまた、ホームの一つの姿なんですよ。

宮崎で始まった「ホームホスピス」の運動では、空き家を使い、シェアハウス感覚の施設を作っています。一人一室が割り当てられているので、プライバシーも確保されています。様々な制約もありますが、すべての入居者にとってアットホームな場所にすることは可能です。入居者同士が共有できるもの(価値・趣味・出身地など)があれば、たがいに仲間になれるでしょう。

ただ、地域のコミュニティへの入り方は重要です。宮崎の事例では、町内の有力者や信頼の厚い人が所有している物件を使っているそうです。そうでないと、どうしても死を受け入れられない人の反対が起きてしまいます。

それもね、死のタブー視が原因にあると思うんですけれどね。今、事故死や安楽死・尊厳死など、ニュースになるような、ある意味で「特殊な死」は溢れているのに、親の死などの身近な「当たり前の死」を語る場所がない。すると死のイメージが肥大化してしまうんですよ。

死生観や終活にも深く関わることですね。

死にゆく人をとり巻く周囲の人たちは、死生観が自分の肚に落ちていないことが多い。すると、大切な人の死をなかなか受け入れられなくて辛い。本人に対しても「諦めないで」などとお門違いの励ましの言葉をかけて辛い思いをさせてしまう。もし、肚に落ちている人が見舞いに行ったのなら、

「今日は体力の許す限り、語り合おう」

「聞いておきたいことがあるんだ」

と、お互いに有意義な時間を過ごせるのに、と残念に思います。

「当たり前の死」を語るために死生学カフェに参加する人は多いです。当たり前の死を語って、聞きながら学べる場所がもっとたくさんあると、終末期医療も、お葬式も変わりますよね、きっと。

グリーフケアやグリーフサポートに関しても、僕は宗教一辺倒ではだめだと思っているんです。もちろん宗教の力、たとえば読経や写経、座禅の力はあるけれど、世の中がこれだけ非宗教化してくると、他の方法も必要です。たとえば絵本を読むことで、気持ちが整理されていくといったような、多くの人の手に届くものが必要で、それが宗教と混ざり合って選択肢として提示されることが必要なのではないかと思う。

恋人と別れた時にも、時間が必要でしょう。そういう別れの悲しみを繰り返してきた人類の知恵として、葬儀がある。でも、今という時代を見てやっていかなければいけない。葬儀にそんな力はないと思っている人も多いかもしれないけれど、それは問いの立て方が違うと思います。むしろ「葬儀に価値を感じない人にとって、価値があるお別れのかたちとは何か」ということを、僕たちはサボらずに考えなければいけないと思います。

死生学カフェで行なっている対話とは、自分の体験を一方的に語るのではなく、自分も語り、他の人が語ることも注意深く聞くことによって、死に対する自分なりの答えをだしていくことなのですね。本日は、ありがとうございました。

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