元第一プロダクション社長、岸部清さんの通夜式。2月18日、青山葬儀所で

2019年2月11日、心不全のためご逝去された元株式会社第一プロダクション代表取締役社長岸部清さんの通夜式が、2月18日、東京・港区の青山葬儀所で営まれました。千昌夫さんや小林幸子さん、森口博子さんなど多くの歌手を育て上げ、日本の歌謡界に大きな影響を与えた故人。通夜式にはおよそ500人の参列者が訪れ、最後のお別れをしました。

葬儀・告別式は2月19日に行われます。施行は株式会社マル源/株式会社JA東京中央セレモニーセンターです。

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紫色がきれいな落ち着いた祭壇

祭壇中央に飾られた遺影は、1991年、第一プロダクション30周年記念パーティーの時のお写真です。

バラ、胡蝶蘭、トルコキキョウ、ダリアなど全部で約7,000本の花からなる祭壇は、高さは2m50㎝、幅は12m。ダイナミックだった故人の人柄を表すべく、大きめの花が用いられています。

落ち着いた紫色が映える、上品な仕上がりとなっています。

戒名に込められた意味

戒名は「大光明清居士(だいこうめいせいこじ)」

「大」は大きく芸能界に貢献されたこと。

「光」はその功績で芸能界に広く光を日本中に届けたこと。

「明」は明るい人柄で、誰にでも明るく接されたこと。
また、「明」という文字には、仏教的な意味では悟りを開くという意味もあって、この文字が使われています。

そして「清」は故人の名前から、一文字とっています。奥様の戒名も4文字目にお名前からとっていたため、ご夫婦で合わせたそうです。

アンティーク風な、趣のある柩

アンティークを好んでいたという故人のため、柩も趣のある色合いの棺の選ばれています。

柩を選んだ際には、「この色」とすぐに決まったそうです。

柩の上の花束が、重厚な柩に色を添えて、儀礼だけでない美しさがあります。
柩の中には副葬品として、故人の愛用していた杖、アロハシャツ2枚、ハンチングハット、麦わら帽子などが納められています。

また、甘いものが大好きだったという個人のため、どら焼きやザラメなども入れられたそうです。

祭壇の前にも、甘酒やカステラ、アンパン、栗饅頭などが並びます。

故人を知る人にとっては、アンパンと言えば岸部さんと連想されるほど、甘いものがお好きだったそうです。

岸部清さんの略歴

お通夜がはじまる前には、会場内には第一プロダクション30周年記念パーティーの時に作成された記念盤 CDが流れています。いずれも昭和の名曲ばかりです。

岸部清さんは早稲田大学在学中よりウエスタンバンド、東京ウエスタンボーイズのメンバーとして活躍。その後ザ・ドリフターズので前進であるサンズ・オブ・ドリフターズを結成。初代リーダーに就任しています。

1965年に第一プロダクションとして独立し、代表取締役社長に就任。当時、芸能事務所としては珍しく、霞ヶ関にその拠点を置きました。

これまで井上ひろしさん、千昌夫さん、扇ひろこさん、小林幸子さん、新沼謙治さん、森口博子さんら多くの歌手を育て上げました。中でも、ぴんからトリオの「女のみち」は400万枚の大ヒットとなりました。

また、音楽出版社協会の副会長や日本音楽事業者協会の名誉理事なども兼任してきた岸部さんですが2017年、高齢を理由に、第一プロダクションを解散しています。

岸部清さんの通夜式に参列された方々

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