8月15日に乳がんのため逝去された漫画家、さくらももこさん(享年53)の「ありがとうの会」が2018年11月16日、東京港区の青山葬儀所で行われました。
代表作『ちびまる子ちゃん』や『コジコジ』など、数々の漫画やエッセーなどで人気のさくらももこさん。お別れも、「明るく、楽しく、なごやかに」という本人の希望をかたちにしたものとなりました。
また、「さくら」にちなんで、会場にはさくら色のカーペットが敷かれています。集まった1,000以上の方々も、それぞれ桜色を身に着けてのこの会。施行は、株式会社マル源/株式会社JA東京中央セレモニーセンターです。
目次
生花とさくらももこさんのイラストを飾った祭壇
祭壇は、さくらももこさんのイラストなどをもとにさくらプロダクションがデザインしています。
お好きだったダリアやトルコキキョウなどの花、約3万本と色とりどりの風船で装飾。幅は16m50cm、高さは3m50cmです。
祭壇には縁起の良いイラストもたくさん!
祭壇中央の遺影は、近年書かれた自画像です。そのほか、さくらももこさんの作品に登場する人気のキャラクターたちもたくさん飾られています。
でも、よく見ると祭壇の後ろには、富士山が。さらによく見ると、自画像の後ろには七福神?そのほか、鯛、ひょうたん、家内安全のお札など、縁起のいいものがたくさん飾られています。
これらは福絵と言って、さくらももこさんが生前好んで描いていたそうです。「明るく、楽しいお別れの会にしたい」というコンセプトで飾られています。
おもてなしは“静岡(しぞ~か)おでん”
青山葬儀所内に用意された待合場所に入ると、いい香り。正面には「静岡(しぞ~か)おでん」の暖簾がかかっています。
さくらももこさんが生前大好きだったというおでんで、ありがとうの会に訪れた方々をおもてなししています。さくらももこさんご自身も生前、よくおでんを振る舞っていたそうで、愛用のおでん鍋も展示されています。
なお、本日のおでんのメニューは、牛すじ、黒はんぺん、たまご、ちくわ、ごぼう巻き、そしてこんにゃくです。
仕事場風景も再現
待合場所には、さくらももこさんの仕事場風景を再現した展示もありました。机の上にはさくらももこさんが実際に使っていたペンなども飾られています。
ちびまる子ちゃんたちも、中庭で参列者をお出迎え。
TARAKOさん&まる子から、さくらももこさんへのありがとうの言葉
「明るく、楽しく、なごやかに」というさくらももこさんの意思に沿ったありがとうの会。「拍手」も「笑い」もありです。
司会は、フジテレビアナウンサーの笠井信輔さん。『ちびまる子ちゃん』の実写ドラマで先生役を演じたことから、今回、司会を受けることになったそうです。
さくらももこさんへの黙祷からはじまった会。さくらももこさんの人生を漫画やアニメーションで伝えるオリジナルVTRも放映されました。
「ありがとうの言葉」は、声優でアニメ『ちびまる子ちゃん』のまる子役の、TARAKOさん。さくらももこさんのご友人で女優の賀来千香子さん。そして、作家の吉本ばななさんです。
また漫画家尾田栄一郎さん、歌手の木村カエラさんからのメッセージも紹介されました。
TARAKOさんの、ありがとうの言葉(全文)
はい、今日は泣かないって決めてきたんですけど、なんかやっぱ……。私の人生の半分は、まる子ですね。歳ばれますけどね。本当に。
何のお礼も。何のお礼も。こんな恩人に何のお礼もできなかったのが、もう本当に……。
だからその分これから、もう、みんなで頑張って、ももこ先生の世界をつなげていくことが私たちの使命と言うか、やりたいことというか、本当に、本当にももこ先生いなかったら、私、本当に人生変わってたので。もうお仕事で、よそのホテル行っても3,000円のマッサージも頼めないような、そんな結構辛い生活をしてたんです。まる子が売れるまで。
本当にずっとバイトしてたし、声優デビューしてもバイトしてたし。もう貧乏はお得意だったんですけど、なんか本当にももこちゃんの声と似てて、幸せでした。はい。
今、ご覧いただいた方もわかるように、1990年の時の声と、今の声は、みんなだいぶ違います。
それは歳を重ねることだから。
今の声で一生懸命みんな、これからも、きっと未来の声になるんだろうなって。思います。
私は本当、まる子が売れてから初めて外国も行けました。
仕事で「なるほどザ・ワールド」という、フジテレビさんに本当にお世話になりました。もう、あの一緒にいた、今のうちの事務所の社長は人相が悪いので、空港で止められました。
お守りの中まで見られたそうです。
あとは、本当にももこちゃんのおかげで、私はその、「顔を出す仕事」をいっぱいいただきました。あの、なので街で信号とか待ってると、ネギとかね、こう入った買い物袋を抱えたおばさんからポンポンって肩叩かれて、「ちょっとちょっと、さくらももこさんだよね?」って言われて、「違います」と。いや、本当違うので。
あと、一番すごかったのが、タクシーに乗った時ですね。
運転手さん、途中で「お孫さんおめでとうございます」って言われて。その時まだ結婚もしてないのに、なんだろうこれは?って思ったら。「がんばってくださいね!いるかさん」って言われました。
そうなんです。そのくらい私たち3人は声が似ていたんです。
もうね、なんか、オールナイトニッポンで、3人がしゃべった時に、後にどれが誰の声かわからなかったという……。それはよく言われました。
本当になんか、似てるって、こんなに幸せて嬉しくて、ありがたくて、なんかぐっとくるものなんだなっていうことも、ももこちゃんが教えてくれました。
本当に本当に、なんだろう?もっと会いたかった、だから。
もう、これ、なんだろう?
あの、初代お姉ちゃんの水谷優子ちゃんも。初代おじいちゃんの富山敬さんも、二代目の青野さんも、それから初代富士男役の田中君も、あと長山君の妹の未祐ちゃんも、みんな天国で、天国できっと待ってるので。あの、会ったらよろしくです。
それとすごい、偶然って言っては何なんですが、あの、まる子でもおヨネばあさんをしてくれたドキンちゃんの声の鶴ひろみさんは、今日がちょうど一周忌の命日です。
何なんだろうこの偶然って、思いました。
あのいっぱい、いっぱい会って、みんなと楽しく宴会してください。
本当にもう、会おうと思った時にすぐ会わないとダメなんだっていうのを、実感しました。
ももこちゃんには本当にありがとうです。
で、私はプライベートのももこちゃんをあまり知らないので、やっぱりこの人が一番知ってるんじゃないか?って人に、改めて挨拶を……。
3年4組さくらももこ。通称、まる子。
大人になった私へ。
まずは何においてもこれだね、よくぞ夢を叶えてくれました。あんた本当に偉いよ。おめでとう。
大人になった私へ。
プライベートはなんかいろいろあったみたいだね。でもまあ、あんたも、あんたの作品もたくさん人に愛されたんだから、人生バランスなのかもしれないね。
大人になった私へ。
お酒はまあ、ひろしの娘だから飲むだろうと思ったけど、たばこまでやっちゃうとは、あんたすごいね。タイムマシンがあったら、体が悲鳴をあげる前に、「おいおい、ほどほどにしろよ」って言いたかったよ。
大人になって、天使になった私へ。
そっちはどうだい?いやいや、きっとまだこっちで、今日は絶対この辺でうろうろしてるよね。桑田さんいるけど、しがみついちゃだめだよ。一緒に歌うんだろうな。大きな声で踊りながらね。
私は昔、あんたのせいで、ずっとこの歌が頭にあったから、一節歌うよ。
「かわいそうだよ。ズボンのおなら~。右と左に、泣きぃ別ぁれ~」
三日三晩、うなされたよ。
最後に、大人になって、天使になって、天国へ行く私へ。
そっちでもたまに、まる子描いてよね。
コジコジや長沢や、ちびしかくでもなんでもいいから。ずっとずっと、どこにいても、描き続けてください。生まれ変わっても、きっとずっと、私はちっちゃくて、まあるくて、おっちょこちょいで、プリンが好きで、百恵ちゃんが好きで、漫画が大好きな、さくらももこです。
またね。
桑田佳祐さんの献歌。『100万年の幸せ!!』を熱唱
さらに、献歌では桑田佳祐さんが、『100万年の幸せ!!』を熱唱しました。この歌はさくらももこさんが作詞、桑田佳祐さんが楽曲を担当したもので、2012年4月から2017年10月1日までの間アニメまる子ちゃんのエンディングテーマとして使用されました。
桑田さんは、さくらももこさんから『ちびまる子ちゃん』の歌を歌ってほしいというお手紙が届いたときのことも紹介。便せんには、歌詞も書いてあったそうです。
さくら色のお別れ
さくらももこさんの「さくら」にちなんで、会場はいたるところに「さくら色」がちりばめられていました。
例えば祭壇の前にはさくら色のカーペットが敷かれていました。また集まった方もそれぞれ、胸に花を挿したり、思い思いにさくら色を身に着けていました。
さらに、今回は葬儀社のスタッフの方々も、ネクタイの色がさくら色で統一されていました。一般的なお葬式ではもちろん、お別れの会などでも、まずお目にかかることのできない光景です。
返礼の品の袋も、さくら色です。
ちなみに、返礼品として、静岡銘菓「アマンド娘」、クリアファイル、絵葉書、そして『りぼん』2018年11月号の別冊ふろく、さくらももこさん追悼小冊子が参列者に配られたそうです。
さくらももこさん ありがとうの会に参会された方々
>>株式会社JA東京中央セレモニーセンター 社長インタビュー
(取材・執筆/小林憲行)