インタビュアー:弊社代表取締役社長 小林
ゲスト:木下株式会社 草苑 取締役副社長(※当時/現在は代表取締役社長) 木下幹朗氏
今回は、福岡県久留米市を拠点にホテルブライダル業・葬祭業・互助会業を展開されている木下株式会社 草苑の木下幹朗副社長(※当時/現在は代表取締役社長)をお招きし、同社の歴史や独自の取り組み、そして葬儀業界の未来についてお話を伺いました。
目次
福岡県・佐賀県でホテルブライダル・葬祭・互助会を3本柱とする事業概要

小林社長: 木下株式会社 草苑様といえば、久留米で非常に有名な葬儀社様で、大きなマーケットシェアをお持ちだと認識しております。まずは会社の概要について簡単にご説明いただけますでしょうか。
木下副社長: 現在、私どもは福岡県と佐賀県で合計24式場(※当時/現在は29式場71ホール)を展開しております。 事業としては、大きく分けて3種類の柱がございまして、ホテルブライダル業、葬祭業、そして互助会業です。この3種類を主軸に、事業運営を行っております。
小林社長: ホームページにあります「木下式の司会」について、詳しくお聞かせいただけますか。
木下副社長: 第二次大戦後、今の草苑という会社ができたときは、土葬から霊柩車に変わったり、自宅葬から寺葬に変わったりと、葬儀のシーン自体が変わっていく時代でした。葬儀の行列が徐々になくなっていくという時代の変化の中で、お寺に参列される方も自分たちのタイミングで来られて帰られるような流れがありました。ご住職様が一人でお経をあげている場面を先代の木下勇が見て、「生前にかかわりのあった方が、決まった時間に集まって式を始めて、皆さんに送っていただいて終わる、ちゃんとした式にしたい」という想いから今の形が生まれたと伺っています。
「清め塩」を廃止し、「忌中紙」を「喪中紙」へ。葬儀の常識を見直した意味と背景とは
小林社長: 実際に取り組む形を変えた例として「清め塩の廃止」をされたそうですが、行った意味合いや背景を教えていただけますでしょうか。
木下副社長: ご遺体を扱うサービスを提供する中で、ご遺体を触ったり、式が終わったりしたあとに「清め塩」で「清める」という行為にはご遺体が汚いもののような前提が感じられ、人間尊重を考える木下勇からするとすごく違和感があることだったようで、こういった取り組みに至りました。
それまでは、この地域にも清め塩はあったかと思うのですが、今は他の葬儀社様でもあまりお見かけしないので、地域でかなり浸透した文化になったのだと思います。
小林社長: もう一つ、「忌中紙」を「喪中紙」と変えられたこともありますね。
木下副社長: これもまさに「清め塩」の考え方と同じで、死は忌み嫌うものではないという考えから、名前を変えようということになりました。
葬儀の歴史はまだ浅い。ミニマム化は当然としつつ「自宅葬への回帰」を予測

小林社長: 副社長から見た今後の葬儀のあり方や、草苑様の将来的な展開についてお考えをお聞かせいただけますでしょうか。
木下副社長:どのような表現が正確かわからないのですが、今の葬儀のあり方となったのは第二次世界大戦後なので、まだ70~80年の歴史しかありません。当初は密葬や一般葬が主流だったのが、少しずつ家族葬や直葬・火葬式となり、規模がミニマムになっていくような形で葬儀の形態が変わってきています。こういった変化を憂う同業者の方もいらっしゃいますが、私は歴史が浅い分、葬儀の形が変わっていくのは当然だと考えています。
今後の展開としては、もう少し「自宅葬」が回帰してくるのではないかと予測しています。ただ、コロナ禍の影響で戻ってくるペースが少し緩やかになっているのか、あるいは私の予測と違って自宅葬が増えていかないのか、そのあたりはまだわかりません。
小林社長: いかがでしたでしょうか。福岡県久留米市で地域に根差した葬儀を展開されてきた草苑の木下副社長にお話をお聞きしました。本日はどうもありがとうございました。
木下副社長: ありがとうございました。
会社概要:木下株式会社 草苑
| 会社概要 | |
|---|---|
| 会社名(正式名称) | 木下株式会社 草苑 |
| 所在地(住所) | 〒839-0862 福岡県久留米市野中町865 |
| 代表者 | 木下 幹朗 |
| 創業年/設立年 | 1900年 |
| 従業員数 | 計124名(令和4年3月現在) |
| 対応エリア | 【福岡県】 福岡市・那珂川市・春日市・大野城市・太宰府市・筑紫野市・ 筑前町・小郡市・大刀洗町・久留米市・うきは市・広川町・ 八女市・大木町・大川市・柳川市・みやま市・筑後市 【佐賀県】 佐賀市・小城市・杵島郡・神埼市・ 吉野ヶ里町・鳥栖市・三養基郡 |
| 公式HP | 木下株式会社 草苑 |