葬儀を考えることは、生き方を考えること。靖賢寺ちゃんねる×鎌倉新書の特別対談が問いかける「人生最後のイベント」のあり方

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葬儀を考えることは、生き方を考えること。靖賢寺ちゃんねる×鎌倉新書の特別対談が問いかける「人生最後のイベント」のあり方

2025年9月11日、有明GYM-EX(ジメックス)で開催されたエンディング産業展で、特別対談「エンディング業界、ここがおかしい!」が行われました。

エンタメ業界でのキャリアを経て仏門に入った千原靖賢(千原せいじ)氏と、その師匠である小林俊宥氏、そして株式会社鎌倉新書の代表取締役社長COO 小林史生氏が登壇し、業界の課題や未来について熱く語り合いました。

エンディング産業展(ENDEX)は、東京博善株式会社が主催する葬儀・埋葬・供養・相続など、終活産業に関するあらゆる設備・機器・サービスが一堂に会する日本最大の専門展示会です。

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コロナ禍が変えた「葬儀の形」と浮き彫りになる「人間関係の希薄化」

まず、小林史生氏が提示したのは、鎌倉新書が隔年で実施している『お葬式に関する全国調査』に基づく葬儀の平均費用の推移です。葬儀の平均費用は、この10年で約202万円から半分の約118万円まで低下。小林史生氏は、葬儀費用の大きな要因となったのはコロナ禍で、人の集まりが制限された結果、葬儀の小規模化が進んだと説明しました。

これに対して千原靖賢氏は、コロナ禍の番組制作会社の話を交えながら「世間が『これでできるやん』と認識してしまった」と語り、さらに、費用をおさえたパッケージプランが登場すると「業界全体の質の低下」につながってしまうと問題を提起します。

また、問題の本質はコロナだけではありません。千原靖賢氏は「そもそも、最近は愛されてないじいちゃんばあちゃんが多いんちゃうか」と指摘。「おじいちゃん子・おばあちゃん子」が当たり前だった時代と違い、核家族化やライフスタイルの変化で世代間の関係性が希薄になっているせいで、葬儀の簡略化が進んでいるのではないかと話しました。

「人生最後の儀式」である葬儀に自分の気持ちを少しだけ乗せる

天台宗遍照寺の住職である小林俊宥氏は「人間は七五三や成人式など、様々な儀式を経て成長する。その最後の儀式がお葬式なんです」と語ります。

大切なのは、お葬式に自分の気持ちを少しだけ乗せて、参列者が楽しめる儀式にすること。小林俊宥氏は、「自分の葬儀でこうしてほしい」という希望を伝えることは、残された側にとって迷惑ではなく、むしろ「故人のために何かしてあげられた」という救いになるといいます。

その流れで、小林俊宥氏が「自分の葬儀では、出棺時にABBAの『ダンシング・クイーン』を流してほしいと息子に伝えている」と明かすと、会場は温かい笑いに包まれました。

一方、千原靖賢氏は、家族だけで静かに見送った結果、故人の友人から「なぜ最後の別れをさせてくれなかったのか」と強く責められたという例を紹介し、残された人たちの想いを軽視する危うさを示唆。

また、故人の想いを乗せた葬儀をすることは、参列者一人ひとりが「自分ならどうするだろう」と自らの人生の終幕をイメージする貴重な機会になると語りました。

「人生最後のお葬式」を考えることは「周囲から愛される生き方」を見つめ直すこと

千原靖賢氏は「(お葬式は)故人と残された人たちが一緒にできる、人生最後のイベント」だと話します。そのうえで、ネガティブなイメージの強い葬儀を、もっとポジティブな儀式にしてはどうかと提案。お葬式も成人式や還暦のように、たくさんの人に来てほしいと語り、だからこそ「生きているときに愛されていないとダメ」だと主張しました。

小林俊宥氏も、千原靖賢氏の意見に同調し、「『自分は子供がいないから葬式をしてくれない』という人がいるけど、たまに会う姪っ子や甥っ子にお小遣いを渡してごらんなさい。その記憶はきっと残って、あなたが亡くなった時に絶対に何かしてくれますよ」とユーモアを交えて語りました。

対談を通して見えてきたのは、葬儀のあり方はその人の生き方を映し出す鏡だということです。「人生最後のお葬式」を考えることは、「周囲から愛される生き方」を見つめ直すこと。最高の終活とは、結局のところ「多くの人に参列したいと思われるような、愛される存在になること」なのかもしれません。

葬儀業界向けの対談イベントでありながら、個人の生き方そのものを問い直すような、非常に感慨深い時間を過ごせました。

本イベントの対談は、後日靖賢寺ちゃんねるで動画が公開される予定ですので、ぜひあわせてご覧ください。

(文・戸田友里恵)

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