今は亡き母へ
お母さん、あなたが亡くなって十六年。
あの日は、私の高校生活最後の夏休みで唯一の中間登校日でしたね。
うだる暑さの中をわざわざ登校するのも億劫だった私は、前夜から引き続きあなたの病室に入り浸っていました。
冷暖房完備の個室。眠ったままのあなたの横で響く人工呼吸器の規則的な音も、一年も経つと心地良いものとなっていました。
それまでも時々、わかりやすい嘘をついて学校をサボっていた事を、あなたはきっと笑って許してくれていたのでしょう。
都合が良いと思うでしょうが、それでもあの日あなたの死に目にあえたのは偶然ではなかったと思っています。
あの日からの数ヵ月、居場所を失った私はひたすら家にひきこもり、温もりも声もないあなたの仏壇の前で泣き続けていました。
あなたの残した日記とスカーフを胸に抱き、必死にあなたの生きた証を探していました。
なのに、日々一つまた一つと、自分の記憶からあなたとの思い出が消えてしまっているような罪悪感が私を襲いました。
そして私は当て所のない感情を自分へとぶつけてしまいました。
お母さん、ごめんね。バカな娘で。
私の手首から流れた温かいものは手のひらを染め、指の間を伝い爪へと滴り落ちました。
痛みも悲しみも乾いた涙もそのままで、どれ程の時間あなたの遺影を見つめていたか。
ふとある思い出が頭を過りました。
うんと幼い頃、お風呂上がりに、いつもあなたがつけていた乳液の余りを自分の手につけてもらうの、私、好きだったなあ。
一瞬にして、あなたの手の温もり、乳液のいい匂いが、目の前に甦りました。
そして嬉し気につぶやいたあなた。
「ミキの手は本当にお母さんとそっくりね」
私はやっと、母の生きた証を見つけました。
お母さん、もうすぐ私の生まれた六月です。
秋に新しい命に気づき、冬の北国の寒さから大切に守り、少し遅めの春が訪れる新緑の風が吹く今頃、あなたは私を生んでくれたのですね。
都会育ちの私がどうしてわかるかって?
それは私も同じ北国に嫁ぎ、この六月に新しい命をこの手に抱くからです。
お母さん、私は今でもあなたの愛情に満たされています。
あなたがくれた愛情を新しい命へと注いでいきます。
今度は私の生きた証として。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。