今は亡き祖母へ
八年前、八十代半ばにさしかかった祖母は、骨折を機に私の勤務する介護施設のデイケアに通い始めた。
祖父を癌で亡くし二十年。これといった趣味もなく、温厚で内気な祖母にとって、見知らぬ人々と一日を過ごすことがどれだけ苦痛なことか、私には痛いほど分かっていた。
それでも、週二回デイケアに行けば孫に会える……リハビリよりも孫の私を心の支えにしていたらしい。慣れない環境になじもうと頑張っている姿を見ると、かつて私の成長を楽しみに面倒をみてくれた祖母と、まるで立場が逆転したかのように、祖母の小さな背中を心配しながら私はそっと見守った。
その後、年相応の認知症もあり、転倒や骨折を繰り返すようになった祖母は、デイケアから介護施設への入所となった。
当時リハビリ課にいた私も、時折祖母の入浴や食事、排泄の場面で携わることが出来、介護の仕事をしながら、家族としても支えることが出来た大切で貴重な時間であった。
九十歳を目前にし、祖母はみるみる食が細くなり、誤嚥性肺炎を起こすようになった。
どうか祖父の分までも長生きして欲しい。私達家族の願いは経管栄養(胃ろう)を選択した。
しかし、介護施設を退所し病院へ入院するも、数か月で祖母は天上の人となった。
夜勤明け、一報を受けて病院に駆けつけたが、祖母は既に亡くなっていた。まだ温かみの残る頬に触れ、私は溢れる涙をおさえきれなかった。
ただ、あの時の安堵に包まれたような穏やかな祖母の寝顔は今でも忘れられない。
「おばあさんの最期の旅立ちを私が見届けたかった。ゴメンね、何も恩返し出来なくて……ゴメンね。だけどおばあさんと一緒に過ごした時間はとても幸せだったよ。ありがとう。」
葬儀屋さんもお寺のご住職も、その弔いは故人に対し尊厳と慈愛に満ち溢れ、祖母は純粋無垢な乙女のように棺に納まった。厳かな読経の中「これでやっとおじいさんの元に行けるね」と心の中でつぶやくと、胸がじんわり温かくなり、祖母の命の終結を受容した。
逝き方は生き方の凝縮であるという。愛する人を亡くした虚無感・孤独感は簡単に癒えるものではない。しかし、故人が生きた証を家族が受け継ぐことで、逝き方は家族の生き方へと繋がっていく。そして、森羅万象、命は連綿として繋がっていくのであろう。
戦争を乗り越え、苦労をいとわず必死に生き抜いた祖母・娟徳院祖綴春挺大姉。あなたの孫に生まれたことを心から誇りに思います。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。