今は亡き友へ
私達の自治公民館は、今まで五つの町内で共同使用でしたので、祭りや懇親会などには、他町内同士がかち合い、トラブルとなることもしばしばあり、思うように使えませんでした。
かねがね、我らが公民館をと、望んでいましたが、平成七年、当時の自治会長が先頭に立って、建設実行委員会をたち上げました。
しかしながら、土地の面で折り合いが付かず、棚上げとなってしまいました。
平成十三年、小生が自治会長となってから九年後、再び機運が高まりました。
二十二年、土地の件も折り合いが付き、前自治会長は、設計図案を作ったり、小生と市役所や設計事務所等と交渉したり、東奔西走しました。
二十二年六月、遂に地鎮祭に漕ぎ着けました。
早速、前自治会長が八十四歳のご老体に鞭打って、率先して雑木竹藪の抜根に鍬を入れ、その背中を見ながら町民こぞって汗を流しました。
約一年で整地も済み、基礎工事を始めるや、東日本大震災が発生。業者は東北への復旧支援で、工事はストップとなってしまいました。
一日も早く我らが公民館をと夢見ていた私たちは、基礎工事をも手掛けて、完了に漕ぎ着けました。
その間、前自治会長と私は口癖のように「ここまで来れば、あと少しだね」「山本さんあんまり無理しないで、年なんだから」と声を掛け合いながら、頑張って来ました。
悲願三十年、平成二十三年十二月の落成を目前でした。
「前会長が倒れた」の報。
病院へ駆け付けるも夢無残、名のみ残して他界。
夢半ばで逝ってしまった山本さんの功労を称え、何としても在りし日の姿を残すべく、鉛筆肖像画の製作を、なすの斎場さんに託しました。
「山本さん、お蔭さんで立派な公民館が出来たよ、一緒に飲みましょうよ」
完成した肖像画を新公民館の茶の間に掲げ、氏を仰ぎつつ、忍び酒を一緒に飲んでいる昨今です。
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」より
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」は、父母、祖父母、先生、友人、近所の人など。“あの人”とかつて一緒にいた時に言えなかったこと、想い出や、“あの人”が亡くなった後に伝えたくなったこと、感謝の気持ちなどを綴ったお手紙です。